百科事典マイペディア 「後藤=ヨッフェ会談」の意味・わかりやすい解説
後藤=ヨッフェ会談【ごとうヨッフェかいだん】
→関連項目日ソ基本条約
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…このころアメリカ石油資本が北樺太油田開発の着手を試みて日本海軍を強く刺激し,また,極東ソ連領漁業もソビエト政府が支配して極東共和国合併以前の漁業条約を無効とするなどの政策を推進した。これらの懸案打開のため,後藤新平は中国にいたソビエト全権代表A.A.ヨッフェを日本に招いて私的会談(後藤=ヨッフェ会談)をもち(1923年3月7日~6月16日),さらにこれを駐ポーランド公使川上俊彦との予備交渉に引きついだ(1923年6月28日~7月31日)。これらの交渉では北樺太問題,尼港事件問題,宣伝禁止問題が論議され,のちの日ソ間交渉の地ならしの役を果たした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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