田辺茂一(読み)たなべもいち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田辺茂一」の意味・わかりやすい解説

田辺茂一
たなべもいち
(1905―1981)

小説家、紀伊國(きのくに)屋書店創業者。本名茂一(しげいち)。東京生まれ。慶応義塾高等部卒業。1927年(昭和2)紀伊國屋書店創立、その経営にあたりながら舟橋聖一、阿部知二(ともじ)らと文芸雑誌『行動』の発行や、『能動精神パンフレット』(1935)の編集をする。かたわら作家論、小説を発表。ことに艶笑(えんしょう)随筆に優れ、粋人として知られた。評論集に『轗軻(かんか)』(1941)、短編集に『世話した女』(1953)、『芯(しん)のない日々』(1970)など、自伝長編『すたこらさっさ』正続(1973)、随筆集に『わが町新宿』(1976)ほか多数ある。1979年フランス政府から文芸勲章騎士章(シュバリエ・デ・ザール・エ・レットル)を贈られた。

[遠矢龍之介]

『『わが町・新宿』(旺文社文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「田辺茂一」の解説

田辺 茂一
タナベ モイチ

昭和期の出版人,随筆家 紀伊国屋書店会長。



生年
明治38(1905)年2月12日

没年
昭和56(1981)年12月11日

出身地
東京都新宿区

学歴〔年〕
慶応義塾高等部〔大正15年〕卒

経歴
昭和2年東京・新宿で紀伊国屋書店を開業、21年株式会社に改組し社長に就任。55年会長。この間、全国26店、海外3店という日本一の書店に育て上げる一方、文芸誌「文芸都市」「行動」などのパトロンとして活躍。自らも小説や艶笑随筆で軽妙な筆をみせたほか、絵画演劇にも造詣が深く、画廊や劇場(紀伊国屋ホール)を設けたりもした。41年には紀伊国屋演劇賞創設著書に小説集「世話した女」、艶笑随筆集「酔眼竹生島」「夜の市長」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田辺茂一」の解説

田辺茂一 たなべ-もいち

1905-1981 昭和時代の書店主,随筆家。
明治38年2月12日生まれ。昭和2年東京新宿に紀伊国屋(きのくにや)書店をひらく。舟橋聖一らと「文芸都市」「行動」などを,尾崎士郎らと「文学者」を創刊し,資金をだして刊行をささえる。戦後は海外に支店をだすなど大型書店へと発展させる一方,小説「世話した女」,随筆集「夜の市長」などに才筆をふるった。昭和56年12月11日死去。76歳。東京出身。慶応義塾高等部卒。本名は茂一(しげいち)。

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367日誕生日大事典 「田辺茂一」の解説

田辺 茂一 (たなべ もいち)

生年月日:1905年2月12日
昭和時代の出版人;随筆家。紀伊国屋書店社長
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田辺茂一の言及

【紀伊国屋書店[株]】より

…出版物小売商の最大手。1927年田辺茂一(1905‐81)が,東京・新宿で個人企業として創業。46年株式会社に改組。…

※「田辺茂一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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