男山神社
おとこやまじんじや
[現在地名]甲田町下甲立
理窓院東北の高台に鎮座し、祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。旧郷社。
「国郡志下調書出帳」に「八幡宮、長男山にあり、梁二間・桁三間、小杼葺、社下凡六畝」とあり、応永五年(一三九八)宍戸朝家が鎌倉鶴岡八幡宮を勧請したと伝える。宍戸氏歴代の崇敬厚く、永禄二年(一五五九)元源が再建して一〇〇石を寄進、毛利輝元夫人お南より高田郡井原村(現広島市安佐北区)で一〇〇石、宍戸元続より備中水島で五〇石、合わせて二五〇石の社領をもち、上甲立・下甲立・浅塚・糘地・高田原・深瀬、秋町・粟屋(現三次市)、船木・房後・佐々部・羽佐竹・来女木・原田(現高宮町)の一四ヵ村を注連下(祭祀圏)としたという。
男山神社
おとこやまじんじや
津田川中流左岸の山麓、津田町に至る道辺に鎮座する。旧村社。神前の産土神で神前八幡・氏八幡と称していた。祭神誉田別命・足仲彦命・息長足姫命。宝蔵院古暦記(松浦文書)に「延喜七年四月、明印、神前・高岡八幡勧請、一郡一八幡始」とあり、弘安四年(一二八一)蒙古軍退散を祈らせたという。その後長宗我部氏の兵火で焼失、寒河光重が再興したと伝える(御領分中宮由来)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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