日本大百科全書(ニッポニカ) 「発生生物学」の意味・わかりやすい解説
発生生物学
はっせいせいぶつがく
developmental biology
発生学が最近になって急速に発展し、その研究範囲は胚(はい)の発生に限ることなく、さらに広く、発生の基本的原理が及んでいるすべての生物現象にわたるべきであるという主張が生じてきた。このような意味で発生学をとらえる場合、発生生物学とよぶことがある。
発生現象を支配している基本的な原理は、細胞の増殖と分化である。また、これらが胚という一種の細胞の社会集団の中で、有機的に制御されている機構も含まれる。これらの概念は胚発生の研究から生まれたものであるが、やがて、胚のみならず成体の組織や培養細胞の系、あるいはそれらの病的な状態などにも当てはまることが明らかになってきた。そのうち、いくつかの例をあげると次のようなものがある。
成体になった個体では、見かけ上、構成細胞の種類や数は一生を通じてほぼ一定であるが、実際には、たとえば表皮細胞などのように、きわめて激しい細胞の更新が行われていることが多い。それにもかかわらず、つり合いが保たれているのは、個体内で細胞の増殖と分化とに対する制御が、依然として働き続けているからにほかならない。この仕組みを知るのは発生生物学の課題の一つである。
万一、この制御の仕組みに狂いが生ずると、増殖と分化の異常をきたす。これが癌(がん)とよばれる状態である。したがって、発生生物学は癌の病理の解明をも課題としている。
個体内で働いている仕組みは、培養された細胞集団の中でも部分的にみることができる。多くの細胞はガラス器内で培養すると活発に動き回っているが、その数が増えて培養面を覆い、互いに接触するようになると運動が止まり、増殖も止めてしまう。ところが癌細胞はここでも異常な行動を示し、ほかの細胞の上に乗り上がり、増殖も止めない。このような細胞の一種の社会的行動と、その際に行われている細胞どうしの情報交換の本質についての研究も、発生生物学の一つの課題である。
細胞分化の基本原理の一つは、細胞が遺伝子としてもっている情報のなかから、あるもののみを発現させ、ほかのものを発現させないという、遺伝子の選択的発現と考えられるので、遺伝子発現の制御機構の研究も発生生物学の重要な課題である。
また、個体という細胞集団の中で、細胞が自己と非自己を認識しうるという問題も、免疫の根本原理との関連で最近注目を集めている。
このほか、再生、老化、死などをも研究範囲に取り込んでおり、以上のすべてを総合して個体の生命の本質に迫ろうとしているのが発生生物学の現状である。
[木下清一郎]