日本大百科全書(ニッポニカ) 「白石正一郎」の意味・わかりやすい解説
白石正一郎
しらいししょういちろう
(1812―1880)
長門国(ながとのくに)赤間関(あかまがせき)(山口県下関(しものせき)市)の豪商。名は資方、資風。家は小倉屋(こくらや)といい、海運業を営み、諸国との交易を行った。とくに薩州(さっしゅう)問屋として、早くから薩摩と取引のあったことから、1858年(安政5)に薩長交易を長州藩に内願し、勧農御内用懸(かんのうごないようがかり)中野半左衛門の手によって実施された。また自らは尊攘(そんじょう)の志を抱き、高杉晋作(しんさく)をはじめとする藩内の志士、さらに平野国臣(くにおみ)、真木和泉(まきいずみ)など他藩の志士とも交流があり、援助を与えた。63年(文久3)の馬関攘夷(ばかんじょうい)戦にも参加したが、同年に高杉晋作が白石宅で奇兵隊を結成すると、弟の廉作(れんさく)とともに入隊し、私財を投じて援助した。日記に『白石資風日記』『日記中摘要』などがある。明治13年8月31日没。
[吉本一雄]
『下関市教育委員会編・刊『白石家文書』(1968)』