江戸中期の南画家。名は真淵(しんえん)。字(あざな)は百川。蓬洲(ほうしゅう)、八仙と号する。通称は土佐屋平八郎といい、名古屋の薬種商八仙堂に生まれる。25歳のころより松角(のち昇角と改める)と号して俳句を志し、各務(かがみ)支考門下の俳人たちと交わる。1728年(享保13)にはすでに京に上っており、このころより絵画に力を注ぐ。画(え)の師は不明であるが、当時舶載された中国画などには詳しく、『元明(げんみん)画人考』『元明清(しん)書画人名録』の著作がある。百川の画の様式は一定せず、『蓮花(れんか)図』に代表されるような和画系統のもの、『春秋江山図屏風(びょうぶ)』(東京国立博物館)のような元明画に倣ったものなどさまざまだが、後者が中心をなしており、祇園南海(ぎおんなんかい)、柳沢淇園(きえん)らとともに南画の先駆者としての存在意義は大きく、とくに、(南)画、俳句の両道に志した与謝蕪村(よさぶそん)に影響を与えた。また大画面制作にも特色を発揮し、47年(延享4)、多武峰(とうのみね)談山神社の慈門院(現陶原(すはら)家)に一群の障壁画(国の重要文化財)を制作している。38年(元文3)ごろ法橋(ほっきょう)に叙せられている。
[星野 鈴]
(星野鈴)
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江戸中期に活躍した初期文人画家の一人。通称土佐屋平八郎,名は真淵。号は蓬洲,僊観,八僊,八仙堂など。彭(ほう)百川ともいう。名古屋の薬種商八仙堂に生まれ,俳諧に傾倒するが,京都で狩野派を学ぶなど絵画に関心を示し,特に元・明画を学んで南宗画の法を体得する。日本の初期文人画家に共通して,その様式は多様性をもち,俳画の遺作も多い。絵のほかに俳書も多く,《元明画人考》《元明清書画人名録》なども著し,中国画への知識を示す。
執筆者:佐々木 丞平
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…その意味では士大夫的性格をもった文人と考えてもなんら矛盾するところはなく,この日本における文人の系譜は,浦上玉堂,田能村竹田,渡辺崋山,といった画家達の血の中にも脈々と流れていたと考えられる。他方,同じく初期文人画家の一人である彭城百川(さかきひやくせん)や,日本における文人画の大成者といわれる池大雅,与謝蕪村などは,その生れや環境からして士大夫的といえるものではなかった。たとえば百川は名古屋の薬種商の生れであるし,大雅は京都銀座役人中村家の手代の子であった可能性が大きく,蕪村は大坂の淀川堤に近い毛馬村の地主の息子であったようである。…
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