日本大百科全書(ニッポニカ) 「百戯」の意味・わかりやすい解説
百戯
ひゃくぎ
中国の民間芸能の総称。雑伎(ざつぎ)(綱渡り、剣や玉のお手玉、火の輪抜け、とんぼ返り、一本竹、皿回し、足芸、水芸、獅子(しし)舞、玉乗り、猿回し、鼠(ねずみ)・蜘蛛(くも)・蛙(かえる)・亀(かめ)などの芸、闘鶏などの軽業(かるわざ))、武術(剣・槍・棒術、拳(けん)法、曲馬)、奇術(刀呑(の)み、刀の刃渡り、火吹き)、相撲(すもう)(二人相撲、一人相撲、女相撲)、滑稽(こっけい)戯(参軍戯、雑劇、黙劇)、歌舞(仮面戯、歌舞戯、胡旋(こせん)舞)などをいう。隋(ずい)以前は百戯とよばれたが、のちに宮廷や宗廟(そうびょう)の儀式で演じられる雅楽に対し散楽(さんがく)とよばれ、傀儡戯(かいらいぎ)(棒使い、糸操り、水傀儡、薬発(はなび)傀儡、少年が演じる肉傀儡、指人形などの人形芝居)、影戯(えいぎ)(影絵芝居、人間が演じる喬影戯(きょうえいぎ))、説唱(せっしょう)(弾き語り)、説書(せつしょ)(語物)、高蹺(こうきょう)(田楽(でんがく))なども含めて民間芸能をさす。これらは漢の武帝のころから盛んとなり、長安や洛陽(らくよう)の平楽観(へいらくかん)で上演された。漢代の画像石によれば、人間の扮(ふん)した巨竜・大魚の行進や、3頭の鹿(しか)の引く車中で4人が奏楽し、柱の上で倒立する子供の姿がみられ、他の雑伎とともに演じられたことがわかる。唐代は寺院の境内、宋(そう)代は瓦市(がし)(盛り場)で上演され、消長しながらも今日に及んでいる。日本へは奈良時代に伝来し、雑伎、雑芸(ぞうげい)、散楽百戯などとよばれた。
[尾上兼英]
『浜一衛著『日本芸能の源流』(1968・角川書店)』