皆瀬村
かいぜむら
[現在地名]佐世保市皆瀬町・野中町・楠木町・十文野町・踊石町・牧の地町・白仁田町・菰田町
大野村の北西に位置し、相浦川の支流小川内川が流れる。北に牟田原・五蔵岳があり、妙観寺越が通じている。古くは「おれ村」と称したという。江戸時代は平戸藩領で、相神浦筋郡代の管轄下。正保国絵図に「おれ村」とあり、高一千一八八石余。明暦二年(一六五六)の田方帳抜書では「相神浦皆瀬村」のうちとして浪瀬免・小川内免・菰田免・井手口免・白新田免・拾文野免・田代免・山田免・野中免・楠木免の一〇免がみえる。
皆瀬村
みなせむら
面積:二一八・三五平方キロ
皆瀬川の上流、奥羽山脈中に位置する。県最南端にあたり、東は東成瀬村、西は雄勝町・湯沢市、北は稲川町、平鹿郡増田町、南は宮城県栗原郡花山村・玉造郡鳴子町と接する。
藩政時代皆瀬川に沿った街道は稲庭村(現稲川町)、小安村を経て、境目四段長根を越して仙台藩領寒湯村(現花山村)に通じていた。湯沢から高松川沿いに延びる高松街道も小安温泉への間道として賑いをみせた。
湯沢市との境に位置する石神山(一一四三・三メートル)は往古より山岳信仰の対象となり、貞観四年(八六二)には従五位下の叙位が行われている(三代実録)。
皆瀬村
かいぜむら
[現在地名]美
山村皆瀬・
愛川・
上初湯川 日高川の上流、白馬山の南に広がる山村。南は日高川を挟んで川原河村、西は弥谷村。「続風土記」は「皆瀬は峡のせいの義なるへし」とし、阿田木・下越方・愛川・上初湯川の四枝郷を記す。
慶長検地高目録には「谷瀬組村」とみえ、高一五八石余で小物成三・九四八石であった。延宝六年(一六七八)の「日高鑑」には「皆瀬組」とあり、田畑一九町七反余で高一七一石余を記し、下越方・阿田木・愛川各枝郷の内訳を収めている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 