益田池(読み)ますだのいけ

精選版 日本国語大辞典 「益田池」の意味・読み・例文・類語

ますだ‐の‐いけ【益田池】

  1. 奈良県橿原市久米にあった池。弘仁一四年(八二三勅旨によって開かれた。

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日本歴史地名大系 「益田池」の解説

益田池
ますだいけ

弘仁一四年(八二三)現橿原市西池尻にしいけじり町・久米くめ町・鳥屋とりや町にかけた低地に築造したと推定される灌漑用の池。「日本紀略」同年正月二〇日条に「新銭一百貫、賜大和国、宛築益田池料」とある。「性霊集」巻二所収の「大和州益田池碑銘并序」に池の所在について「池之為状也、左竜寺、右鳥陵、大墓南聳、畝傍北峙、来眼精舎鎮其艮、武遮荒壟押其坤」とある。竜寺・鳥陵・大墓・武遮荒壟には諸説があるが、畝傍山の南、久米寺の西南とすれば、西池尻町の東から東南にかけての低地にあたる。

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改訂新版 世界大百科事典 「益田池」の意味・わかりやすい解説

益田池 (ますだのいけ)

大和国高市郡に設けられた池。奈良県橿原市久米寺の南西の地に比定され,堤跡が一部残存している。丘陵に囲まれた盆地部に堤を築き,高取川をせきとめて池とした。堤跡の高さ約8m,基底の幅約15m。面積は40ha前後であったと推定される。完成時に空海によって撰された《益田池碑銘幷序》によると,822年(弘仁13)藤原三守と紀末成とが,干ばつに備える一方,開墾促進を目的に造池を計画し,嵯峨天皇の許可を得,空海の弟子真円とともに工事に着手した。その後,伴国道(とものくにみち),藤原広敏に受け継がれ,825年(天長2)に完成,6郡の田を潤したという。《日本紀略》には823年に銭100貫を築池料として大和国に与えたとみえ,国家的規模の工事であった。廃絶の時期は不明。1961年池跡より長さ約5.7m,内幅72~63cmのヒノキ材の樋管が,また70年に同様の樋がこの付近で発掘された。なお岩船山上近くの益田岩船飛鳥の石造物)は池碑の台石ともいう。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「益田池」の解説

益田池
ますだのいけ

大和国高市(たけち)郡に造られた灌漑用の池。奈良県橿原(かしはら)市池尻町近辺にあったとされ,堤の一部が残り,水を通した木製の樋管も発掘されている。完成時に空海が撰した「益田池碑銘并序」によると,822年(弘仁13)勅許を得て藤原三守(みもり)・紀末成(すえなり)らによって工事が開始され,825年(天長2)に完成した。「日本紀略」には823年に造池料として新銭を下賜して築造させたことがみえる。なお池碑は現存しないが,同市南妙法寺町の丘上にある益田の岩船(いわふね)は石碑の台石と伝えられる。

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