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盧武鉉 の・むひょん

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知恵蔵の解説

盧武鉉

大韓民国第16代大統領(1946~2009、在任2003~08)。1946年生まれで日本統治時代を経験していない世代では初の大統領。2009年5月23日、故郷にある自宅の裏山から身を投げ死去した。就任当初は清廉さなどが高く評価されたが、行政実務に疎く政策能力が十分でなかったとされ、政権末期は支持率が大きく低下した。
朝鮮半島南東部の貧しい農家に生まれ、苦学して司法試験に合格し弁護士となる。軍出身の盧泰愚(ノ・テウ)(民主正義党、当時)政権時代に、野党(統一民主党、当時)の闘士として活躍した。金泳三(キム・ヨンサム)、盧泰愚、金鍾泌(キム・ジョンピル)による三党合同を野合であると批判し、野党民主党に加わり落選。その後雌伏10年を経て02年の大統領選では、新千年民主党の候補者選出において圧倒的な人気を博し、続く大統領選では前大統領金大中(キム・デジュン)の太陽政策の継承を訴え、インターネットの力も借り、対立候補に辛勝した。「バカ」を自称し国民に直接語りかけるなど政治手法はポピュリズム的で支持者も多いが、御都合主義的でエキセントリックな発言でも知られ、物議をかもすことも少なくなかった。尊敬する人物はリンカーン(米国第16代大統領)だったが、大統領就任前から反米的であり、就任後も外交については米国や日本と一定の距離を置いた。その一方、中国に接近しながら北朝鮮に対しては融和政策をとった。
政権運営にあたっては少数与党に苦しみ、04年には大統領弾劾訴追により一時職務停止となり国政が混乱。これを争点とする同年の総選挙で与党ウリ党は過半数を超える国会第一党に躍進した。その後、経済悪化や北朝鮮の核問題などで有効な政策を打ち出すことができず、ウリ党は国会補選や地方選挙でことごとく敗北した。盧武鉉は保革を超えた大連立構想などで政権建て直しを図るが受け入れられることはなかった。政権末期には支持率が1割程度にまで下落し、ウリ党も混乱の中でその幕を閉じた。大統領退任後には、収賄や不正献金で側近や親族の逮捕が相次いだ。本人の逮捕も近いと報じられる中「悲しむな。…誰も恨むな。運命だ。」との遺書を残し、自ら崖から飛び降りたという。29日朝から国民葬が営まれ、最後のお別れに一般市民ら13万人(警察推計)が集まった。

(金谷俊秀 ライター / 2009年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
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デジタル大辞泉の解説

ノ‐ムヒョン【盧武鉉】

[1946~2009]韓国の第16代大統領。在任2003~2008。慶尚南道出身。弁護士。1988年国会議員に初当選。2000年海洋水産部長(大臣)。2002年インターネットを通じた市民運動に支持されて大統領選挙に勝利し、翌年2月に就任。北朝鮮に融和的な政策を進めた。→イミョンバク

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

盧武鉉【ろぶげん】

韓国の政治家,2003年第16代大統領。慶尚南道出身。釜山商業高校卒業後,建設労働などに従事し,1975年司法試験に合格。人権弁護士として知られ,1988年金泳三のすすめで釜山地区選出の国会議員に当選。
→関連項目金槿泰大韓民国潘基文ハンギョレ四・三事件

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

盧武鉉
ろぶげん / ノムヒョン
(1946―2009)

韓国(大韓民国)の政治家。第16代大統領。8月6日慶尚南道(けいしょうなんどう/キョンサンナムド)進永(チンヨン)に生まれる。1966年釜山(ふざん/プサン)商業高校卒業後、陸軍に入隊。除隊後司法試験を受けて合格し、1977年大田(たいでん/テジョン)地方法院(地裁)判事となったが、翌1978年弁護士に転身。人権派弁護士として知られ、全斗煥(ぜんとかん/チョンドファン)軍事政権時代(1980年5月~1988年2月)は民主憲法争取国民運動釜山本部委員長として民主化運動に参加。1987年大宇(だいう/デウ)造船労働争議事件との関連で拘束され、弁護士業務停止処分にあう。1988年同郷の統一民主党総裁、金泳三(きんえいさん/キムヨンサム)に勧められ、第13代国会議員選挙に出馬して当選し、政界に進出。国会で全斗煥政権下の不正腐敗を徹底糾弾し、「聴聞会のスター」として脚光を浴びる。盧泰愚(ろたいぐ/ノテウ)政権下の1990年、金泳三が与党・民正党と統合し、民主自由党を結成したことに反発し、金泳三と決別して、金大中(きんだいちゅう/キムデジュン)と政治行動をともにする。しかし、1992年の第14代国会議員選挙、4年後の第15代選挙では落選。1995年釜山市長選挙での落選を含めて3回連続落選の憂き目にあう。金泳三の地盤である釜山から出馬したことが災いした。1997年、新政治国民会議副総裁として、第15代大統領選挙に出馬した同党総裁金大中の当選に貢献。1998年ソウルの鐘路区(チョンログ)の補欠選挙で国会にカムバックしたものの、2000年第16代選挙には落選する。しかし、金大中政権下で海洋水産部長官に登用されたこともあって次代を担うニューリーダーとして急浮上し、2002年与党・新千年民主党の大統領候補に選出される。同年12月大統領選挙で野党・ハンナラ党の李会昌(りかいしょう/イフェチャン)との接戦を制し、第16代大統領に選出された(2003年2月~2008年2月)。2003年9月新千年民主党を離党し、創設されたウリ党に入党したが、与野党の対立は激しく政権は安定しなかった。2007年10月に北朝鮮総書記金正日(きんしょうにち/キムジョンイル)と南北首脳会談を行った。2008年2月大統領を退任。親族がかかわった不正献金疑惑で捜査中の2009年5月23日に自宅近くの裏山から投身自殺。[辺 真一]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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