日本歴史地名大系 「真楽寺」の解説 真楽寺しんらくじ 宮崎県:西臼杵郡日之影町岩井川村真楽寺[現在地名]日之影町岩井川新日之影(しんひのかげ)にある。至徳山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。当寺はもとは三(さん)ヶ所(しよ)村高畑(たかばた)(現五ヶ瀬町)にあり、寛永元年(一六二四)頃に紀伊国の中原重保(のち念西)が観音像を奉安したことに始まると伝える(日之影町史)。延享五年(一七四八)の妙専(みようせん)寺の高千穂末寺中証誠(妙専寺文書)には「一従往古、我々寺、貴寺之為末寺処、聊紛無御座候、自今以後、弥以改宗・改派不及申」とあり、当寺の名が他の一二ヵ寺とともに記されている。しかし元禄四年(一六九一)の妙専寺由緒書(同文書)に真楽寺の名はみえない。文政一三年(一八三〇)に正念(しようねん)寺(現高千穂町)寛隆が写した真楽寺三世方順日記(正念寺文書)をみると、延宝二年(一六七四)に過去帳を作り、日記をつけることになった。 真楽寺しんらくじ 長野県:北佐久郡御代田町塩野村真楽寺[現在地名]御代田町塩野真言宗智山派、山号は浅間山、本尊普賢菩薩。古くは浅間山守護の祈願所として建立され、本寺がなく、末寺三〇余を有したが、延宝四年(一六七六)山城国宇治の報恩寺末となり、明治二七年(一八九四)にいたって智積院末となる。浅間山を北背にした杉木立の中に本堂・観音堂・聖天堂・閻魔堂・三重塔・庫裏・鐘楼・仁王門などの伽藍が配されている。創建については明らかでなく、寺伝によると当初は浅間山中腹の上寺場(かみてらば)(法印房(ほういんぼう))にあったが噴火のため焼失、これより下の下寺場(したてらば)に移ったが、ここでも山津波のために流失したので現在地に移ったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
事典・日本の観光資源 「真楽寺」の解説 真楽寺 (長野県北佐久郡御代田町)「信州の古寺百選」指定の観光名所。 出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報 Sponserd by