真間・市川(読み)まま・いちかわ

日本歴史地名大系 「真間・市川」の解説

真間・市川
まま・いちかわ

現在の市川市の中央西部真間・市川の一帯は古くは「真間の磯辺」(「万葉集」巻一四)といわれたように、かつては東京湾が深く湾入していて、江戸川(往時は太日川といった)左岸河口の入江(海浜)であったと考えられる。この入江には真間川(現在は江戸川の支流)が注ぎ、また当地の北に続く国府台こうのだいの台地上には古代下総国府が、その東の国分こくぶん台には下総国分寺・同尼寺が置かれていた。こうした背景から、古代東海道下総国井上いかみ駅の有力な比定地ともされている。水陸交通の結接点として重きをなした当地は真間手児奈の伝承や歌名所真間継ままのつぎ橋の所在地として古くから都人にも知られていた。また空海開基を伝える古刹真間山弘法ぐぼう寺は一三世紀末には日蓮宗改宗、やがて同宗の有力寺院に発展、一五世紀になるとその門前には真間宿とよばれるような町場も形成されるようになっていた。

市川の地名史料で確認できる早期のものは一四世紀末である。しかし「市川市史」では全国の国府所在地の近辺に市の付く地名が多くみられることなどを理由に、市川の地名の成立が下総国府と関連して古代にさかのぼる可能性のあることを指摘している。やがて市川(市河とも記す)の地名は広がりをみせ、室町時代以降になると真間や国府台をも包摂し、現在の真間や市川・市川南・国府台などを含む一帯、かつての下総国府・府中を核として発展した地域をさす地名として用いられることが多くなった。一方、真間の地名は「真間御堂」(正和三年四月二五日「日樹起請文」弘法寺文書、以下断りのない限り同文書)、「国府真間法華堂(建武二年二月六日千葉貞胤安堵状)などと、弘法寺をさす場合に多く用いられ、ときには混用もみられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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