万葉歌人。生没年不詳。作歌活動の時期については,養老年間(717-724)から天平4年(732)へかけてとする説と,天平4年以降とする説とがあって未詳。長歌14首,短歌19首,旋頭歌1首。作者に異説ある長・短歌各1首。権勢家藤原宇合(うまかい)の知遇を得たらしい。常陸国の官吏としての赴任のほか旅にある歌がほとんどで,その間地方の自然や伝説,民俗行事に触れて秀作をあまた成し,《高橋虫麻呂歌集》(逸書)を編んだ。よく〈旅の歌人〉〈伝説歌人〉などと呼ばれるがその本質は繊細な孤愁をにじませ,あこがれ出る心を歌い上げる浪漫的作者として異色の万葉歌人である。叙述にあたっては,名詞と動詞をたたみかけるように用いて事物の動きや事態の進展を活写し,華麗な饒舌ともいうべきスタイルを成す。〈……立ち走り叫び袖振り こいまろび足ずりしつつ たちまちに心消失(けう)せぬ 若かりし肌も皺みぬ 黒かりし髪も白けぬ ゆなゆなは息さへ絶えて 後遂に命死にける 水江の浦の島子が 家所(いえどころ)見ゆ〉(《万葉集》巻九の〈水江浦島子(みずのえのうらのしまこ)を詠む歌〉)。
→伝説歌
執筆者:井村 哲夫
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生没年未詳。奈良時代の下級官人、歌人。「高橋虫麻呂之歌集」(万葉集)という私歌集をもち、そこからの採録歌も含めて『万葉集』に長歌14首、短歌19首、旋頭歌(せどうか)一首、計34首(長歌・短歌各一首を加えて計36首とも)が残る。閲歴・作歌活動の時期など確かでないが、国司の一員として常陸(ひたち)国(茨城県)にいたことがある。その時期を通説では719年(養老3)ごろとみて、国守藤原宇合(うまかい)の属官で『常陸国風土記(ふどき)』編纂(へんさん)にも関与したかとする(10年以上さげて宇合・風土記との関係も別に考える説もある)。作品は「葛飾(かつしか)の真間(まま)の井見れば立ち平(なら)し水汲(く)ましけむ手児名(てこな)し思ほゆ」(巻9)と歌った葛飾真間娘子(おとめ)や水江之浦島子(みずのえのうらのしまこ)など伝説上の人物、筑波(つくば)山の嬥歌(かがい)など類例の少ない素材を好んで用い叙事的に歌うのが特色で、叙事歌人、伝説歌人などとよばれるが、彼の文学の本質は孤愁の心、疎外者の文学、青年期のあこがれなど種々にいわれている。
[遠藤 宏]
『井村哲夫著『憶良と虫麻呂』(1973・桜楓社)』▽『五味智英著『万葉集の作家と作品』(1982・岩波書店)』
(芳賀紀雄)
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…兵庫県六甲山南麓菟原(うはら)の地(現,芦屋市周辺)に住んでいたという美少女。万葉歌人高橋虫麻呂,田辺福麻呂(さきまろ),大伴家持に歌われ(巻九,十九),後世《大和物語》147段,謡曲《求塚(もとめづか)》,森鷗外の戯曲《生田川》にもなった妻争い伝説の女主人公である。慕い寄る男たちの中でとりわけ執心なのが菟原壮士(うないおとこ)と和泉国の智弩壮士(ちぬおとこ)だった。…
…《万葉集》巻十六の桜児(さくらご)伝説の歌などそれ自体が伝説の一部である歌と,歌人が伝説に触れて発した詠懐の歌との二つのタイプがあるが,両者は区別して考える必要がある。万葉歌人の中でも高橋虫麻呂の伝説詠懐歌4編(水江浦島子(みずのえのうらのしまこ)(浦島太郎),上総末珠名(かみつふさのすえのたまな),勝鹿真間娘子(かつしかのままおとめ)(真間手児名(てこな)),菟原処女(うないおとめ)の伝説。いずれも巻九)は,叙事的な語りのスタイルと作者のロマンティシズムやシニシズムとあいまって出色である。…
※「高橋虫麻呂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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