知礼(読み)ちれい

精選版 日本国語大辞典 「知礼」の意味・読み・例文・類語

ちれい【知礼】

  1. 中国、宋代の天台宗の僧。四明尊者と称される。字(あざな)は約言。四明(浙江省寧波)の人。山家派の中心的人物として活躍し、宗門復興に尽くした。著書に「四明十義書」「十不二門指要鈔」など。(九六〇‐一〇二八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「知礼」の意味・わかりやすい解説

知礼
ちれい
(960―1028)

中国、宋(そう)代の天台宗の僧。字(あざな)は約言(やくごん)、俗姓は金氏。四明(しめい)(浙江(せっこう)省寧波(ニンポー)府)の人で、四明尊者と尊称される。太平興国寺の洪選(こうせん)のもとで出家し、律を学んだ。20歳のとき義通(ぎつう)(927―988)に就いて天台を学んだのち、991年(淳化2)乾符寺(けんぷじ)に住し、さらに995年(至道1)には保恩院(ほうおんいん)に移り、以後ここに住し教化に努めた。1000年(咸平3)作の『釈難扶宗記(しゃくなんふしゅうき)』2巻をはじめ、『十不二門指要鈔(じっぷにもんしようしょう)』『四明十義書』『観心(かんじん)二百問』などを著して、同じ天台宗の晤恩(ごおん)(911/912―986)、源清(げんせい)(?―997)、慶昭(けいしょう)、智円(ちえん)らの山外(さんがい)派を論破し、ここに山家山外(さんげさんがい)論争を展開した。知礼の系統を山家派という。また、1003年日本から27条の問書があり、これに答えた。1020年(天禧4)真宗(しんそう)皇帝から法智(ほうち)大師の号を賜った。著書には、前記ほかに『観経疏妙宗鈔(かんぎょうしょみょうしゅうしょう)』3巻、『観音玄義記(かんのんげんぎき)』2巻、『金光明文句記(こんこうみょうもんぐき)』6巻などがある。知礼に関する文書を集めたものに、宗暁(しゅうぎょう)(1151―1214)の『四明尊者教行録』7巻がある。

[池田魯參 2017年3月21日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「知礼」の意味・わかりやすい解説

知礼
ちれい
Zhi-li

[生]建隆1(960)
[没]天聖6(1028)
中国,北宋の僧。天台宗第 17祖。明州四明の出身。法智尊者,四明尊者,四明大法師などと称された。太平興国寺で出家し,20歳のときに義通に師事して天台学を修めた。その後四明の保恩院 (延慶寺) に移り,山家の重鎮として唐末以後衰運にあった天台宗の法灯を掲げた。北宋第3代皇帝の真宗から法智大師の号を賜わった。『十義書』『金光明文句記』『観経疏妙宗鈔』『観音別行玄義記』『十不二門指要鈔』など多数の著書がある。

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百科事典マイペディア 「知礼」の意味・わかりやすい解説

知礼【ちれい】

中国,宋代の天台宗の僧。浙江(せっこう)省の人。法智大師,四明尊者とも。山家(さんげ)派の論客で40年にわたる山外(さんがい)派との論争を行い,宋代天台宗の教学を大成した。著書《十義書》《十不二門指要鈔》等。

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