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知礼 ちれいZhi-li

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

知礼
ちれい
Zhi-li

[生]建隆1(960)
[没]天聖6(1028)
中国,北宋の僧。天台宗第 17祖。明州四明の出身。法智尊者,四明尊者,四明大法師などと称された。太平興国寺で出家し,20歳のときに義通に師事して天台学を修めた。その後四明の保恩院 (延慶寺) に移り,山家の重鎮として唐末以後衰運にあった天台宗の法灯を掲げた。

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百科事典マイペディアの解説

知礼【ちれい】

中国,宋代の天台宗の僧。浙江(せっこう)省の人。法智大師,四明尊者とも。山家(さんげ)派の論客で40年にわたる山外(さんがい)派との論争を行い,宋代天台宗の教学を大成した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

知礼
ちれい
(960―1028)

中国、宋(そう)代の天台宗の僧。字(あざな)は約言(やくごん)、俗姓は金氏。四明(しめい)(浙江(せっこう)省寧波(ニンポー)府)の人で、四明尊者と尊称される。太平興国寺の洪選(こうせん)のもとで出家し、律を学んだ。20歳のとき義通(ぎつう)に就いて天台を学んだのち、991年(淳化2)乾符寺(けんぷじ)に住し、さらに995年(至道1)には保恩院(ほうおんいん)に移り、以後ここに住し教化に努めた。1000年(咸平3)作の『釈難扶宗記(しゃくなんふしゅうき)』二巻をはじめ、『十不二門指要鈔(じっぷにもんしようしょう)』『四明十義書』『観心(かんじん)二百問』などを著して、同じ天台宗の晤恩(ごおん)、源清(げんせい)、慶昭(けいしょう)、智円(ちえん)らの山外(さんがい)派を論破し、ここに山家山外(さんげさんがい)論争を展開した。知礼の系統を山家派という。また、03年日本から27条の問書があり、これに答えた。20年(天禧4)真宗(しんそう)皇帝から法智(ほうち)大師の号を賜った。著書には、前記のほかに『観経疏妙宗鈔(かんぎょうしょみょうしゅうしょう)』三巻、『観音玄義記(かんのんげんぎき)』二巻、『金光明文句記(こんこうみょうもんぐき)』六巻などがある。知礼に関する文書を集めたものに、宗暁(しゅうぎょう)の『四明尊者教行録』七巻がある。[池田魯參]

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