石上郷(読み)いわかみごう

日本歴史地名大系 「石上郷」の解説

石上郷
いわかみごう

和名抄」東急本・高山寺本ともに訓を欠く。当郷は「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条に載せる「磐上駅」の所在地であり、同書九条家本に「イハカミ」の訓が付されている。いわつかみ・いそのかみと読むともされる。磐上駅の所在地について「下野国誌」「日本地理志料」「大日本史」は現大田原市石上いしがみ付近に比定するが、訓が異なるうえに推定東山道から外れるので採用できない。他説は一致して現湯津上ゆづかみ村湯津上付近に比定する。ことに同村の那須国造なすこくぞう碑付近の小松原こまつばら遺跡からは、奈良―平安期の約五〇軒の住居跡とともに、「厩」と墨書された土器が発掘され、磐上駅との関係が注目されている。


石上郷
いそのかみごう

「和名抄」諸本に「以曾乃加美」の訓がある。郷域については、現邑久郡長船おさふね礒上いそかみを中心とした地域に比定されている。推定郷域内には油杉山ゆすぎやま古墳群のほか、天平期(七二九―七四九)に創建された日光につこう廃寺などがある。平城宮跡から木簡「備□□(前国カ)(郡カ)□上郷戸主海部三□戸口」が出土している。


石上郷
いそのかみごう

「和名抄」高山寺本に「以曾乃加美」、刊本に「伊曾乃加美」と訓ずる。「大和志」は「方廃村存」として現天理市石上町に比定するが、石上町東南の現天理市布留ふる町に鎮座する石上神宮を中心とした広い地域を示すものと考えられる。「日本書紀」履中天皇四年四月条に「石上溝を堀る」、安康天皇即位前紀一二月一四日条に「都を石上に遷す。


石上郷
いそのかみごう

「和名抄」に「石上」と記され、訓を欠く。「新編常陸国誌」に「按ズルニ、今ノ茨城郡青山村ナリ、(中略)コヽノ下青山村ニ石神ト云処アリ、即石上ナリ」とあり、那珂郡石神いしがみ村はもと久慈郡であるから異なるとして、現東茨城郡常北じようほく上青山かみあおやま・下青山の一帯に比定する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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