石介(読み)せきかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「石介」の意味・わかりやすい解説

石介
せきかい
(1005―1045)

中国、北宋(ほくそう)の学者。兗州(えんしゅう)(山東省泰安(たいあん)市)の人。字(あざな)は守道(しゅどう)。孫復(そんぷく)の高弟。天聖の進士。鄆州(うんしゅう)観察推官についたが、父母の死にあい、喪に服して徂徠(そらい)山の下で農耕に従事。そのため徂徠先生と称す。のち召されて国子監直講。太子中允(ちゅういん)となった。善を楽しみ悪を憎むこと厳しく、文章でもって気概を示し、当時の弊害であった仏老を批判、『唐鑑』を著して、朝廷に害をなす姦臣(かんしん)、宦官(かんがん)らを糾弾して憚(はばか)らなかった。死後、『慶暦聖徳頌(けいれきしょうとくしょう)』を夏竦(かしょう)(985―1051)から讒言(ざんげん)され禍を残した。著作に『徂徠集』全20巻がある。

[疋田啓佑 2016年2月17日]

『楠本正継著『宋明時代儒学思想の研究』(1962/改定版・1964・広池学園出版部)』『麓保孝著『朱子の先駆 上』(『朱子学大系 第2巻』1978・明徳出版社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石介」の意味・わかりやすい解説

石介
せきかい
Shi Jie

[生]咸平6(1003)
[没]慶暦3(1043)
中国,北宋の学者,文学者。父母の喪にあって官を退き,徂徠山下に隠遁したので徂徠先生と呼ばれる。のち再び仕えて国子監直講から太子中允直集賢院にいたった。宋初における西崑派の詩風や駢文 (べんぶん) の盛行に反発し,欧陽修蘇舜欽らとともに宋詩独自の詩風の,また柳開王禹しょうらとともに宋代古文のさきがけとなった。清廉で妻子はほとんど飢えんばかりだったという。老荘思想を批判した『怪説中国論』,姦臣を諷した『唐鑑』などの著述がある。

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