改訂新版 世界大百科事典 「蘇舜欽」の意味・わかりやすい解説
蘇舜欽 (そしゅんきん)
Sū Shùn qīn
生没年:1008-48
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
中国、北宋(ほくそう)の詩人。字(あざな)は子美。開封の人。参知政事(副宰相)の孫に生まれ、容貌魁偉(ようぼうかいい)、豪気な性格であったが、政敵に陥れられて失脚し、蘇州(そしゅう)(江蘇(こうそ)省)に左遷され、中年にして死んだ。蘇州では滄浪(そうろう)亭を営み、読書と作詩とにふけった。亭の遺跡は現存する。欧陽修(おうようしゅう)、梅堯臣(ばいぎょうしん)と親しく、彼らとともに新しい宋詩の創造の先頭にたち、梅蘇と並称された。その詩は超邁(ちょうまい)横絶といわれ、粗暴ではあるが気力に富む。一面、淡泊な叙景詩もみるに足る。『蘇学士文集』16巻がある。
[入谷仙介]
…もともと五代末,杭州に都を置いた呉越王の銭鏐の子,広陵王銭元璙,あるいはその親戚の中呉軍節度使孫承佑の別宅であったといわれる。北宋慶暦年間(1041‐48),所有者となった蘇舜欽が,庭園内に亭を建て,古典にちなんで〈滄浪亭〉と名づけたことから著名となった。その後南宋には韓世忠の手に渡り,韓王園と呼ばれ,園も拡大されたが,元代には廃されて僧庵となっていた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」