蘇舜欽(読み)そしゅんきん(その他表記)Sū Shùn qīn

改訂新版 世界大百科事典 「蘇舜欽」の意味・わかりやすい解説

蘇舜欽 (そしゅんきん)
Sū Shùn qīn
生没年:1008-48

中国,北宋の政治家,文学者。字は子美,四川省中江の人。祖父に副宰相蘇易簡義父に宰相の杜衍(とえん)をもつ名門の出身。景祐1年(1034)の進士で,気鋭の官僚として活躍したが,政敵のために失脚。以後は蘇州で自適の生活を送った。文学的には欧陽修梅尭臣らと宋詩の確立に寄与。その詩は性格どおり豪放で暢達だが,梅尭臣ほどの細密な観察はない。晩年の自然詩は平淡で佳作が多い。詩文集《蘇学士文集》16巻が現存する。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蘇舜欽」の意味・わかりやすい解説

蘇舜欽
そしゅんきん
Su Shun-qin

[生]大中祥符1(1008)
[没]慶暦8(1048)
中国,北宋の詩人。開封 (河南省) の人。字,子美。号,滄浪翁。景祐1 (1034) 年進士に及第。その才能を認めた范仲淹や義父の宰相杜衍に推され若手官僚として活躍した。しかし政敵に憎まれ,官物横領のかどで追放され,蘇州に滄浪亭と名づける家を造り,風流にふけった。2年後許されて湖州長史となったが,赴任しないうちに没した。詩人としては欧陽修の庇護を受け,「蘇梅」と並称された梅堯臣とともにこれを助け,宋詩を開拓した。豪傑肌の性格を反映し,詩風もややきめはあらいが奔放で力強く,書家としても高名。『蘇学士文集』 (16巻) が現存する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「蘇舜欽」の意味・わかりやすい解説

蘇舜欽
そしゅんきん
(1008―1048)

中国、北宋(ほくそう)の詩人。字(あざな)は子美。開封の人。参知政事(副宰相)の孫に生まれ、容貌魁偉(ようぼうかいい)、豪気な性格であったが、政敵に陥れられて失脚し、蘇州(そしゅう)(江蘇(こうそ)省)に左遷され、中年にして死んだ。蘇州では滄浪(そうろう)亭を営み、読書と作詩とにふけった。亭の遺跡は現存する。欧陽修(おうようしゅう)、梅堯臣(ばいぎょうしん)と親しく、彼らとともに新しい宋詩の創造の先頭にたち、梅蘇と並称された。その詩は超邁(ちょうまい)横絶といわれ、粗暴ではあるが気力に富む。一面、淡泊な叙景詩もみるに足る。『蘇学士文集』16巻がある。

[入谷仙介]

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世界大百科事典(旧版)内の蘇舜欽の言及

【滄浪亭】より

…もともと五代末,杭州に都を置いた呉越王の銭鏐の子,広陵王銭元璙,あるいはその親戚の中呉軍節度使孫承佑の別宅であったといわれる。北宋慶暦年間(1041‐48),所有者となった蘇舜欽が,庭園内に亭を建て,古典にちなんで〈滄浪亭〉と名づけたことから著名となった。その後南宋には韓世忠の手に渡り,韓王園と呼ばれ,園も拡大されたが,元代には廃されて僧庵となっていた。…

※「蘇舜欽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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