石堂村(読み)いしどうむら

日本歴史地名大系 「石堂村」の解説

石堂村
いしどうむら

[現在地名]八戸市石堂

八戸城下の北東、馬淵まべち川左岸沿いの自然堤防上に位置する。東は川を隔てて沼館ぬまだて村、南は同じく売市うるいち村、西は長苗代ながなわしろ村、北は河原木かわらぎ村に接する。

藩政当初は盛岡藩に属する。正保四年(一六四七)の南部領内総絵図に石堂村、七七石余とあり、同年の郷村帳によれば七七・三一九石のうち三九・三三二石が畑である。雑書の慶安二年(一六四九)二月五日条に「八戸ヨリ石堂村網差喜藤白鳥壱取活シ上ル」とある。承応元年(一六五二)七月二三日条には「八戸石堂川除普請加勢人足、奥郡分御給人方ヘ百石三人宛被仰付、割付帳三戸・八戸ヘ遣ス」とあり、川除普請が行われている。寛文四年(一六六四)八戸藩創設とともに同藩領に編入。

石堂村
いしどうむら

[現在地名]丸山町石堂

珠師谷しゆしがやつ村の北、丸山川左岸に位置し、古刹石堂寺がある。「里見代々記」「里見軍記」によると、里見氏の祖義実が相州三浦から安房へ入国した頃、安房には四人の郡主がおり、朝夷あさい郡には丸右近介元俊が「石堂谷」に住していたという。石堂寺蔵の天文一四年(一五四五)一一月二八日付多宝塔露盤銘に「丸石堂殿平常茂内妙源」の名がみえる。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録に村名がみえ、高三〇八石余、うち二〇五石余は田方。里見氏直轄領。同一一年の里見家分限帳でも同高で、直轄領。

石堂村
いしどうむら

[現在地名]椎田町石堂

上松あがりまつ村の東、石堂川下流域に位置し、周防灘に面する。中世角田すだ庄に含まれたとみられ、同庄鎮守角田八幡社(現豊前市)祭礼に奉仕した九村のうちであった(太宰管内志)

石堂村
いしどうむら

室町時代の村。応永一〇年(一四〇三)一〇月九日の島津元久安堵状(旧記雑録)によると、「指宿郡内石堂村」などが新田宮の執印氏に安堵されている。これ以前の建武四年(一三三七)八月三日の島津道意合戦手負注文(島津家文書)南朝方の「石堂彦次郎入道」という当村を名字の地とすると思われる人物がみえ、文和四年(一三五五)一一月五日の島津師久目安状(北郷氏系図)にみえる「石堂彦次郎入道」も同一人物とみられる。

石堂村
いしどうむら

[現在地名]奈良市石木いしき

富雄川東部にある。もと小和田こわだ村のうち。元禄郷帳に村高二六四・六八六石、郡山藩領とあり、「小和田之枝郷」と注記する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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