石浜 純太郎
イシハマ ジュンタロウ
大正・昭和期の東洋史学者 関西大学文学部教授;日本西蔵学会会長。
- 生年
- 明治21(1888)年11月10日
- 没年
- 昭和43(1968)年2月11日
- 出生地
- 大阪・堂島
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学文科大学史学科〔明治44年〕卒
- 経歴
- 明治43年から父の後を継ぎ丸石製薬合名会社の社員となったが、大正11年大阪外国語学校に入って言語学による東洋古語の研究を始めた。13年内藤湖南に随行、ヨーロッパ各地を巡り、西域出土の古文書を調査した。15年関西大学専門部講師、昭和3年竜谷大学講師、10年竜谷大学史学科東洋史学主任代理、17年大阪言語学会創立、24年関西大学文学部教授。28年日本西蔵学会会長。関西における西域古文書、敦煌胡語文書研究の第一人者。著書に「東洋学の話」「支那学論攷」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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石浜純太郎 (いしはまじゅんたろう)
生没年:1888-1968(明治21-昭和43)
東洋史家で蔵書家としても知られる。号は大壺。大阪堂島で製薬業を営む石浜豊蔵の長男として生まれ,家業を継ぎながら,中国周辺諸地域の歴史,言語,文化について,新しい学問分野を開拓した。内藤湖南に弟子の礼をとり,京都学派の学者との交友が深い。精緻な考証と該博な学識で知られる。著書に《支那学論攷》《浪華儒林伝》等がある。
執筆者:勝村 哲也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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石浜純太郎 いしはま-じゅんたろう
1888-1968 大正-昭和時代の東洋史学者。
明治21年11月10日生まれ。石浜恒夫の父。東洋の古語と西域出土の仏典,古文献を研究。竜谷大などでおしえ,昭和24年関西大教授となる。28年日本西蔵(チベツト)学会会長。ネフスキーとの西夏語(せいかご)研究でも知られる。昭和43年2月11日死去。79歳。大阪出身。東京帝大卒。著作に「東洋学の話」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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石浜 純太郎 (いしはま じゅんたろう)
生年月日:1888年8月27日
大正時代;昭和時代の東洋史学者。関西大学教授;日本西蔵学会会長
1968年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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