碁盤太平記(読み)ゴバンタイヘイキ

デジタル大辞泉 「碁盤太平記」の意味・読み・例文・類語

ごばんたいへいき【碁盤太平記】

浄瑠璃時代物二段近松門左衛門作。宝永7年(1710)大坂竹本座初演。赤穂義士のあだ討ちを脚色したもの。

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精選版 日本国語大辞典 「碁盤太平記」の意味・読み・例文・類語

ごばんたいへいき【碁盤太平記】

  1. 浄瑠璃。時代物。二段。近松門左衛門作。宝永七年(一七一〇)大坂竹本座初演。赤穂義士のかたき討ちを「太平記」の世界に仮託して、大星由良之助、力彌父子の出立討入り本懐を脚色。「仮名手本忠臣蔵」を生む母胎となる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「碁盤太平記」の解説

碁盤太平記
ごばんたいへいき

人形浄瑠璃。時代物。1段。近松門左衛門作。1710年(宝永7)頃大坂竹本座初演。赤穂浪士の討入りに取材した作品で,「太平記」巻21を題材とした「兼好法師物見車」の跡追いとして構想された。1710年は浅野家再興が認められた年で,歌舞伎・浄瑠璃ともに赤穂浪士事件の脚色,上演がみられた。忠臣蔵物もとはこの頃かたまり,本作が事件を「太平記」の世界にあてはめて脚色するきっかけとなった。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「碁盤太平記」の解説

碁盤太平記
ごばんたいへいき

歌舞伎・浄瑠璃の外題
初演
明治36.6(京都明治座)

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世界大百科事典(旧版)内の碁盤太平記の言及

【赤穂浪士】より

…義のために身命をなげうった赤穂浪士たちの行動に,庶民は大いに共感しかっさいをおくり,続々と脚本が書き下ろされ上演され続けたのである。近松門左衛門は《太平記》の世界の話ということでこの討入事件をとりあげ,《兼好法師物見車(ものみぐるま)》に続けて,1710年(宝永7)には《碁盤太平記》を上演した。吉良上野介義央を高師直に,浅野内匠頭長矩を塩冶(えんや)判官に,大石内蔵助(くらのすけ)を大星由良助(ゆらのすけ)として登場させている。…

【太平記物】より

…なお,明治以降には,《高時》(《北条九代名家功》),《大森彦七》《女楠》など,のちに新歌舞伎十八番の中に入れられる諸作が,河竹黙阿弥や福地桜痴の手によって作られた。また,その他,近世には,幕府をはばかって,赤穂浪士の敵討や由井正雪の事件を《太平記》の世界に仮託,脚色するという方法が一般化し,前者に当たるものとしては,1710年大坂竹本座の《兼好法師物見車》および《碁盤太平記》,48年(寛延1)8月竹本座の《仮名手本忠臣蔵》,66年10月竹本座の《太平記忠臣講釈》,由井正雪の事件を扱った作品では,1759年(宝暦9)9月竹本座の《太平記菊水之巻》などが演ぜられている。ただし,それらは,太平記物とは別に,忠臣蔵物,由井正雪物として扱われるのが普通である。…

【忠臣蔵物】より

…それをきっかけに,同7月京都の夷屋座が世界を《太平記》に求めた《太平記さゞれ石》および後日狂言《硝後太平記(さざれいしごたいへいき)》を上演したのをはじめ,京坂の諸座が競って赤穂浪士劇を演じた。また,人形浄瑠璃においても,同じ年,大坂豊竹座では《鬼鹿毛無佐志鐙》が,竹本座では《兼好法師物見車》と《碁盤太平記》が相次いで上演された。《無佐志鐙》は,同名題の三八の作品や《さゞれ石》を下敷にしたと推定される紀海音の作。…

※「碁盤太平記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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