忠臣蔵物(読み)ちゅうしんぐらもの

改訂新版 世界大百科事典 「忠臣蔵物」の意味・わかりやすい解説

忠臣蔵物 (ちゅうしんぐらもの)

(1)赤穂浪士の復讐譚に取材した歌舞伎および人形浄瑠璃の作品の総称。〈忠臣蔵物〉という呼称は,代表作《仮名手本忠臣蔵》の名題に拠る。〈蔵〉は大石内蔵助の蔵,題名に〈いろは〉や〈仮名〉がつく作品が多いのは四十七士の数にちなむ。

 1701年(元禄14)の播州赤穂城主浅野内匠頭長矩の殿中刃傷と切腹,02年の赤穂浪士討入事件は江湖の関心を集め,これに取材したおびただしい数の作品が歌舞伎や人形浄瑠璃の舞台をにぎわせた。そのもっとも早いものは,刃傷が行われたのと同年同月に,小栗判官の世界に脚色して江戸山村座で上演された《東山栄華舞台》,次いで,浪士たちの切腹直後,曾我の世界に仕組んで江戸中村座で演じられた《曙曾我夜討》であるといわれているが,ともに確証なく,真偽のほどは不明。上演が確認される最初の作品は,歌舞伎では,1703年,京都の早雲座二の替りの,近松門左衛門作《傾城三の車》。その中の巻に,討入を示唆する場面が設けられている。人形浄瑠璃では,同年10月大坂竹本座所演と推定される錦文流作《傾城八花形(やつはながた)》が最初で,刃傷と討入を脚色。また,翌年3月には,それを襲用した《難波染八花形》が宇治加賀掾によって演じられた。

 内匠頭の七回忌に当たる1708年(宝永5)1月京都の亀屋座で上演された車屋忠右衛門作《福引閏正月》は,吉良を高師直,内匠頭を塩冶えんや)判官という役名で登場させ,事件を《太平記》の世界に脚色した最初の作品として注目される。しかし,この事件が大いに舞台をにぎわせるようになったのは,10年,浅野家の再興が認められてからであった。すなわち同年6月大坂篠塚座で,事件を小栗の世界に仕組んだ吾妻三八作《鬼鹿毛無佐志鐙(おにかげむさしあぶみ)》が上演されて,120日間の長期興行を記録。それをきっかけに,同7月京都の夷屋座が世界を《太平記》に求めた《太平記さゞれ石》および後日狂言《硝後太平記(さざれいしごたいへいき)》を上演したのをはじめ,京坂の諸座が競って赤穂浪士劇を演じた。また,人形浄瑠璃においても,同じ年,大坂豊竹座では《鬼鹿毛無佐志鐙》が,竹本座では《兼好法師物見車》と《碁盤太平記》が相次いで上演された。《無佐志鐙》は,同名題の三八の作品や《さゞれ石》を下敷にしたと推定される紀海音の作。小栗判官が舅横山左衛門から恥辱を受けて刃傷,切腹を命じられ,家老大岸宮内ら47人の忠臣が復讐を誓い,さまざまな苦心の末に仇討をとげるという筋で,大きな影響を後に与えた。《物見車》と跡追い《碁盤太平記》は,ともに近松の作。足利尊氏の執権高師直は塩冶判官の妻に懸想し,痛い目にあわされたのを根にもって塩冶を讒訴,詰め腹を切らせる。忠臣八幡六郎は大星由良之介と名を変え,多くの辛酸をなめた末,討入に成功。首級を判官の墓に手向け,切腹を賜る。塩冶家も,一子竹王丸によって相続,再興される。

 これらの作品を土台として,以後,数々の浪士劇が生み出されたが,中でも重要な位置を占めるのは,人形浄瑠璃では,1732年(享保17)10月豊竹座所演の,並木宗輔,小川丈助,安田蛙文作《忠臣金(こがねの)短冊》,歌舞伎では,47年(延享4)6月(7月とも)京都の中村粂太郎座で上演された《大矢数四十七本》である。前者は《無佐志鐙》や《碁盤太平記》に負うところ多く,小栗の刃傷,切腹から,大岸由良之助らの苦心,討入を描き,後者では,初世沢村宗十郎の大岸宮内が大当りをとり,ことに祇園町生酔いの場の好演は世評を沸かせた。

 この2作から直接影響を受けて作られたのが,1748年(寛延1)8月に竹本座で初演された名作《仮名手本忠臣蔵》である。これに次いで名高いのは《太平記忠臣講釈》(1766年10月竹本座)で,以後の浪士劇は,何らかの意味で,この両作の影響下に置かれている。代表的なものとしては,人形浄瑠璃に《忠臣後日噺》(1772年4月大坂北堀江市ノ側芝居),《いろは蔵三組盃》(1773年7月大坂北新地芝居),《忠臣伊呂波実記》(1775年7月江戸肥前座),《本蔵下屋敷》(1878年4月大阪大江橋席)などがあり,歌舞伎には《義臣伝読切講釈》(《忠臣連理廼鉢植》,1788年(天明8)3月大坂北堀江市ノ側芝居),《いろは仮名四十七訓(もじ)》(弥作の鎌腹,1791年9月大坂角の芝居),《裏表忠臣蔵》(蜂の巣の平右衛門,落人,宅兵衛上使,1833年3月江戸河原崎座),《仮名手本硯高嶋》(赤垣源蔵徳利の別れ,1858年5月江戸市村座),《忠臣蔵後日建前》(女定九郎,1865年閏5月江戸中村座),《稽古筆七いろは》(鳩の平右衛門,1867年8月市村座),《伊呂波実記》(松浦の太鼓,1878年9月大阪戎座),《土屋主税》(1907年10月大阪角座)などのほかに,4世鶴屋南北の《東海道四谷怪談》(1825年7月中村座)のような外伝仕立ての傍系作があり,また,近代のものとしては,真山青果の《元禄忠臣蔵》が名高く,かつ優れている。

(2)講談,浪曲にも,赤穂浪士の討入を題材とした作品群〈赤穂義士伝〉がある。刃傷から討入・切腹に至るまでの事実を語る〈本伝〉のほか,討入に参加した四十七士のエピソードを描いた〈義士銘々伝〉,周辺の人物を扱った〈義士外伝〉がある。銘々伝には高田馬場での中山安兵衛,赤垣源蔵の徳利の別れなど,外伝には,協力者天野屋利兵衛,吉良方の小林平八郎,清水一学,赤穂浪士の脱落者などの話がある。これらの題材はいつの時代にも人気があり,演者は競って口演した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の忠臣蔵物の言及

【赤穂浪士】より

…なお赤穂浪士は長矩と同じ芝高輪の泉岳寺に葬られた。【田原 嗣郎】
[演劇における赤穂浪士]
 太平の世に47人もの武士が一団となって,主君のための仇討を極秘裏に計画し,みごとに成功させたという赤穂浪士の事件は,江戸の庶民の注目を大いに集め,これに取材した数多くの作品群,いわゆる〈忠臣蔵物〉を現代に及ぶまで生み続けてきた。義のために身命をなげうった赤穂浪士たちの行動に,庶民は大いに共感しかっさいをおくり,続々と脚本が書き下ろされ上演され続けたのである。…

【仮名手本忠臣蔵】より

…《菅原伝授手習鑑》《義経千本桜》と並ぶ人形浄瑠璃全盛期の名作。前年,京中村粂太郎座で上演され,初世沢村宗十郎の大岸宮内(大石内蔵助)の名演で評判となった《大矢数四十七本》に刺激されて作られたもので,〈忠臣蔵物〉の最高峰に位置する。興行中,九段目の演出をめぐって人形遣い吉田文三郎と太夫竹本此太夫とのあいだに争いが生じ,此太夫らは退座して豊竹座に移り,代わって豊竹座から竹茂都大隅らを迎えて続演,それを機として竹本・豊竹両座の曲風が混淆するという,浄瑠璃史上,注目すべき事件が起こったことでも名高い。…

※「忠臣蔵物」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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