神之池
ごうのいけ
現神栖町の中央部にあり、古くは寒田池・軽野池・苅野池・降野池・業池などとよばれた。「利根川図志」は「鹿島の神の池なり(中略)いと広大なる池にて、ふるくは安是湖といへる是なり」と記し、寛永一八年(一六四一)の大飢饉では、長さ四、五尋の藻が汀へ流れ、近辺や他国の者が飯の糧にしたという「瑞験記」の記事を載せる。
池は貴重な灌漑用水源であったため池水をめぐる争いも起こり、宝永七年(一七一〇)の溝口村と日川村外五か村水論裁許状(山本家文書)には「降之池之儀、先規より日川萩原石神高浜木崎溝口田端柴崎八ケ村用水ニ引来候(中略)溝口村訴候降之池支配之儀、先年奥谷村と池論之節、近村扱手形ニ、池本溝口村と書載有之旨雖申之」と記されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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神之池(ごうのいけ)
茨城県神栖市にある調整池。面積は約0.44平方キロメートル。かつては現在の7倍ほどの大きさがあったが、1969年、鹿島港建設を目的とする埋め立てにより縮小。周辺は公園として整備されている。神栖市の名は神之池の“神”と、市内にある神社で東国三社のひとつに数えられる息栖(いきす)神社の“栖”を組み合わせたもの。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の神之池の言及
【神栖[町]】より
…東を鹿島灘,西を外浪逆浦(そとなさかうら)にはさまれ,鹿島砂丘の北部を占める。町名は三社参りで知られる鹿島神宮の摂社息栖(いきす)神社と神之池(ごうのいけ)の名にちなむ。かつては麦,スイカなどの砂丘農業が行われていたが,昭和30年代に[鹿島臨海工業地域]の建設が始まると砂丘に掘込み式の鹿島港がつくられ,神之池の大部分が埋め立てられて,全国でも有数の石油化学コンビナートをもつ工業地区に変わり,人口も急増した。…
※「神之池」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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