日本歴史地名大系 「神東郡」の解説
神東郡
じんとうぐん
- 兵庫県:播磨国
- 神東郡
〔中世〕
保延七年(一一四一)六月二三日の鳥羽院庁下文案(九条家文書)に「神崎東郡川述南条」、九条満家公引付(同文書)永享三年(一四三一)一〇月条所収の文治二年(一一八六)六月二一日付後白河上皇所領寄進状案には「神東郡内蔭山南条」とあり、平安時代後期には神東郡が成立していた。播磨国を東西に二分する場合、神東郡は東播磨、神西郡は西播磨に属する。郡内の庄園・公領は
暦応四年(一三四一)三月、京都を出奔して本国出雲へ向かう佐々木高貞が影山(蔭山)で自害したという。但馬国の山名氏に行手をさえぎられたことによる。観応二年(一三五一)一二月二一日には後藤基景が赤松則祐の田原の陣に馳せ参じている(正平七年二月一二日「後藤基景軍忠状」後藤文書)。文和二年(一三五三)二月には但馬・丹波両国の南朝軍が播磨へ侵攻、赤松則祐配下が粟賀庄の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報