神柱宮(読み)かんばしらぐう

日本歴史地名大系 「神柱宮」の解説

神柱宮
かんばしらぐう

[現在地名]都城市前田町

年見としみ川北岸、神柱公園北側にある。当地には明治四年(一八七一)に移され、それまでは現梅北うめきた益貫ますのきにあった。祭神は天照皇大神・豊受姫大神、相殿に天津彦火瓊瓊杵命・天手力雄命・天津児屋根命・万旗秋津姫命・天太玉命を祀る。旧県社。古くは正一位神柱大明神社、天照大神神柱宮、神柱妙見宮などとも称された。創建万寿三年(一〇二六)と伝える。「三国名勝図会」によれば、万寿年中当地一帯を開墾した大宰府の府官平季基は墾田を寄進して島津庄とし、益貫に館を構えた。長元年中(一〇二八―三七)庄内に伊勢宮を祀り神柱社と称せよという伊勢大神宮の神託を奉じ、季基は当社を創建、島津庄総鎮守としたという。また同書所引の梅北氏神柱社由緒記によれば、平季基は万寿三年家門を建てようとして大吉おおよし山から柱の用木を一千人で引いた。季基の六歳になる女子がこれを見て神憑りとなり、「我は是伊勢の外宮なり、(中略)速に斯地に社を建て祭り、神社の名を神柱と称すべし」と神託を唱えた。これにより季基は伊勢へ赴いて神体を受取り、九月九日当社を創建したともいう。

棟札写(都城島津家文書)によれば、仁安二年(一一六七)に伴兼景が再建、弘安四年(一二八一)に伴兼世が修造、応永八年(一四〇一)島津元久、文明一五年(一四八三)二月九日に島津武久、永正一三年(一五一六)四月一四日に島津(新納)忠武により各々修営された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「神柱宮」の意味・わかりやすい解説

神柱宮
かんばしらぐう

宮崎県都城(みやこのじょう)市前田町に鎮座。天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)を主神とし、相殿(あいどの)に天津彦火瓊々杵命(あまつひこほににぎのみこと)、天手力雄(あめのたじからお)命、天津児屋根(あまつこやね)命、萬旗豊秋津姫(よろずはたとよあきつひめ)命、天太玉(あめのふとだま)命を祀(まつ)る。当社は、1026年(万寿3)、島津荘(しょう)の開拓者、大宰府大監(だざいふだいげん)平季基(すえもと)が神託により、市外中郷村梅北の地に創建したのに始まる。1873年(明治6)5月県社に加列。1982年(昭和57)3月神柱神社を神柱宮と改称した。例祭は10月29日。

[落合偉洲]

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