日本歴史地名大系 「神角寺」の解説
神角寺
じんかくじ
[現在地名]朝地町鳥田
建久七年(一一九六)大友能直は豊前・豊後両国守護職兼鎮西奉行に任命され、先発として、その実弟古庄重能が入国した際、豊後大神氏の大野泰基は神角山に拠って抵抗したという。承元二年(一二〇八)閏四月一〇日の源壱譲状案(石志文書)に「豊後国大野九郎謀叛之時、壱令豊後上尅」とあるので大野泰基が抵抗したことは事実である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
建久七年(一一九六)大友能直は豊前・豊後両国守護職兼鎮西奉行に任命され、先発として、その実弟古庄重能が入国した際、豊後大神氏の大野泰基は神角山に拠って抵抗したという。承元二年(一二〇八)閏四月一〇日の源壱譲状案(石志文書)に「豊後国大野九郎謀叛之時、壱令豊後上尅」とあるので大野泰基が抵抗したことは事実である。
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