神野金之助(読み)カミノ キンノスケ

20世紀日本人名事典 「神野金之助」の解説

神野 金之助(2代目)
カミノ キンノスケ

大正・昭和期の実業家 名古屋鉄道社長;名古屋商工会議所会頭。



生年
明治26(1893)年1月4日

没年
昭和36(1961)年10月23日

出生地
愛知県

本名
神野 重孝

学歴〔年〕
京都帝大法学部中退

経歴
若くして名古屋の紅葉屋財閥の後継者となり、東洋紡役員、三河水力電気社長、福寿生命社長など務め、中京財界の雄として名を知られた。大正12年名古屋鉄道の役員となり、昭和10年副社長、20年社長、30年会長に就任。この間、愛知電気鉄道との合併、岐阜‐豊橋直通運転、名鉄百貨店の設立など、名鉄グループ発展の基礎を築いた。29〜32年名古屋商工会議所会頭。一方、大正13年名古屋無電放送を設立して日本初の放送事業を出願、名古屋放送局、日本放送協会設立に参画し、14年名古屋放送局理事長。戦後はNHK経営委員、名古屋テレビ塔の建設、東海テレビ設立など、中京の放送界でも草創期から活躍した。


神野 金之助(1代目)
カミノ キンノスケ

明治・大正期の実業家 紅葉屋経営;名古屋電気鉄道社長;貴院議員。



生年
嘉永2年4月15日(1849年)

没年
大正11(1922)年2月20日

出生地
尾張国海部郡江西村(愛知県八開村)

本名
神野 重行

別名
幼名=岸郎

経歴
明治9年兄・小吉の養子先である名古屋の紅葉屋(洋反物商)の事業に参加。土地担保金融などで巨利を得、名古屋実業界に認められて、10年名古屋米商会所取締役に選任。その後、豊橋、伊勢などの開拓・植林事業を行ない、名古屋屈指の資産家となった。家業のほか、明治銀行頭取、福寿生命保険社長、名古屋電気鉄道社長などを務めた。37年貴院議員。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「神野金之助」の解説

神野金之助(2代) かみの-きんのすけ

1893-1961 大正-昭和時代の実業家。
明治26年1月4日生まれ。初代神野金之助の子。父の参加した紅葉(もみじ)屋の後継者となり,名古屋放送局設立につくす。昭和10年名古屋鉄道副社長,20年社長に就任。この間,名鉄百貨店を創立するなど名鉄グループ発展の基礎をきずく。29年名古屋商工会議所会頭。昭和36年10月23日死去。68歳。愛知県出身。京都帝大中退。本名は重孝。

神野金之助(初代) かみの-きんのすけ

1849-1922 明治-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)2年4月15日生まれ。兄富田重助のいとなむ紅葉(もみじ)屋の事業に参加。豊橋,伊勢(いせ)などの開拓・植林事業をおこなう。のち明治銀行頭取をつとめ,明治43年(1910)名古屋電気鉄道社長に就任。貴族院議員。大正11年2月20日死去。74歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。本名は重行。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「神野金之助」の解説

神野 金之助(2代目) (かみの きんのすけ)

生年月日:1893年1月4日
大正時代;昭和時代の実業家
1961年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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