票号(読み)ひょうごう

日本大百科全書(ニッポニカ)「票号」の解説

票号
ひょうごう

中国、清(しん)代の為替(かわせ)銀行。票荘、匯兌(かいだ)荘ともいう。流通経済の盛況に伴い、現銀(馬蹄(ばてい)銀)取引は両替、改鋳などの煩雑な手続や目減りが障害となってきたので、為替手形の利用が盛んとなり、これを取り扱う専業として出発した。為替は飛銭、便銭(べんせん)とよばれた唐・宋(そう)時代から中国商人には慣れた手段であったが、票号は古来金融業の盛んな山西省におこった。1831年、染料業の日昇長(じっしょうちょう)が四川(しせん)、漢口で買い付け、北京(ペキン)、天津(てんしん)で販売し、その送金のため日昇昌という店が独立したのに始まり、たちまち全国に支店ができ、外国にも及び、中国金融界をリードしたが、その組織の封建性により、民国となって新式銀行の強化とともに衰退した。

[増井経夫]

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旺文社世界史事典 三訂版「票号」の解説

票号
ひょうごう

清代におこった為替業務をとする金融機関。票荘ともいう
山西省の太谷・平遙・祁 (き) の3県の業者が中心。全国・国外に支店もち,活発に為替業務を営んだが,中華民国になって衰退した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「票号」の解説

票号
ひょうごう
piao-hao; p`iao-hao

中国の為替業を中心とする金融機関で,票荘ともいう。為替手形は唐代から行われているが,票号は明末から清初に盛んになった銭荘 (旧式銀行) が専門分化したものである。特に清朝中期以降,中国全土に広く販売網をもつ山西商人によって盛んとなり,道光 11 (1831) 年に最初の票号が設立された。山西票号は全国的な支店網によって民間人の預金,貸付けだけでなく,特に政府公金 (官銀) の預金,税銀の送金などに利用された。清末以降,新式銀行の発達につれて衰えた。

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世界大百科事典 第2版「票号」の解説

ひょうごう【票号 piào hào】

中国の旧式為替銀行で,別に匯兌荘(わいだそう),票荘ともいうが,山西商人の経営するものが有力であったから,山西票号として知られる。古くから商業の発達していた中国では,この種の業務も古くから存在したはずであるが,文献的に確実なのは19世紀初め,山西省平遥県に本店をもつ日昇昌が最初である。同店の経理であった雷履泰は,全国の要地に支店を設けて送金為替の業務を開始した。その成功に刺激され,同業者は急速に増加したが,平遥のほかに,祁県(きけん)と太谷県が中心地であり,支店網は国内にとどまらず,海外にまで拡大した。

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世界大百科事典内の票号の言及

【銭荘】より

…中国の旧式金融業。旧式金融業は銭荘のほか,銭店・銭舗,銀号,票荘・票号などいろいろの名称でよばれるが,そのちがいは主として業務内容とか,地域的な呼びかたのちがいに求められる。銭店・銭舗は歴史もふるく,比較的小型で両替業務を主とする。…

【手形】より

…宋代では便銭といって官私で盛用した。清代では会票,のち匯票(わいひよう)といい,業者を票号,票荘,匯兌荘(わいだそう)と称し,山西商人の山西票号は金融界を制し,手形,預金,貸出しで巨富をなした(匯は水の回流を指す)。匯票は記名,無記名,一覧払,期日払,一覧後期日払の別があり,裏書制度も生じ,支払拒絶のとき手形所持人は直接の交付者か振出人に請求した。…

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