銭荘(読み)せんそう(英語表記)qian-zhuang; ch`ien-chuang

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

銭荘
せんそう
qian-zhuang; ch`ien-chuang

中国,明代以後盛んになった一種の金融機関。銭鋪ともいう。明代では,銀の流通とも関連して銀と銅銭との交換を業とする者が多いが,こうした機関の前身はすでに宋末にみられる。清代中期になると銀銭交換のほか銭票 (票とは交換券のこと) ,さらには銀票を発行する銭荘もあり,預金・貸付業務なども行い,さらに会票 (送金替為) を扱って現在の銀行と同様の活動を行なった。こうした銭荘は北京をはじめ,江南地方や広東など各地に設けられ活発に活動したが,ことに道光 22 (1842) 年の南京条約による5港開港以後は,上海銭荘が繁栄した。民国以後も銭荘は金融界に重要な地位を占めたが,中華人民共和国の成立後は消滅した。

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百科事典マイペディアの解説

銭荘【せんそう】

中国の清末以降,金銀両替のほか手軽に貸付を行った旧式小型金融機関。少数富裕者の無限責任組合組織で外国銀行と結び,兌換(だかん)券を発行して利益をあげた。人民共和国成立後,買弁的銀行としての銭荘の投機活動は厳罰にされ,1950年代に消滅。

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世界大百科事典 第2版の解説

せんそう【銭荘 qián zhuāng】

中国の旧式金融業。旧式金融業は銭荘のほか,銭店・銭舗,銀号,票荘・票号などいろいろの名称でよばれるが,そのちがいは主として業務内容とか,地域的な呼びかたのちがいに求められる。銭店・銭舗は歴史もふるく,比較的小型で両替業務を主とする。銀号は大規模で銀行業務を主とする。他方,票荘・票号は,山西票号という名称が示すように,山西人によって北中国に発達し,清朝の国庫金を独占的に扱った。これにたいして銭荘は,浙江人を主とし,長江(揚子江)流域とりわけ上海を地盤に発展した。

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大辞林 第三版の解説

せんそう【銭荘】

中国における金融機関。明代には両替を本業とし、清代中期より銀行業をも兼ねた。銭鋪。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

銭荘
せんそう

中国の旧式の商業金融機関。その前身は両替商である南宋(なんそう)の兌房(だぼう)、明(みん)の銭店、銭鋪(せんぽ)であり、銀、銅銭、紙幣などの両替を業務としたもので、清(しん)代には銭鋪、銭荘、銀号、票号などと称された。19世紀の初め以来、銭票、銀票、会票などを発行し、銭、銀の預金、貸付、為替(かわせ)手形を扱って、本来の銀行業務の実体をほぼ備えるに至った。1842年の五港開港以来、外国銀行が進出し、近代銀行が設立されてからも、銭荘は信用による手軽な融資に加えて、古い中国の生産形態と結び付いて繁栄を続けた。その経営には清の中期以来、浙江(せっこう)の紹興(しょうこう)出身の商人が上海(シャンハイ)を中心に進出し、従来の山西商人にかわり勢力を拡大した。しかし1949年中華人民共和国の成立以後、政府は金融機関の厳重な監督と整理を行い、銭荘の投機的活動は禁止されるとともに、公私合営化と生産部門への投資が推進され、53年には銭荘はほとんど消滅した。[佐久間重男]

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世界大百科事典内の銭荘の言及

【商業】より

…以上のように,各種の貨幣が流通し,また金銀の地金が通貨として用いられたため,通貨自体を営業対象とする商人も古くから存在し,両替なども行われた。このことは唐・宋以来の文献によって知られ,宋代には金銀商店の町,つまり銀行で銀の相場がたっており,明・清時代になると銭市・銀市あるいは銀銭市が主要都市に設けられ,銭舗,銭荘,銀号と呼ばれる業者が集まった。信用証券の類も,少なくとも唐代以後には出現し,約束手形や為替手形あるいは小切手的なものが広く行われた。…

※「銭荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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