日本歴史地名大系 「福浦湊」の解説
福浦湊
ふくらみなと
延暦二三年(八〇四)六月二七日、能登国に対して渤海使のための客院を造るよう命じている(日本後紀)。この「能登客院」の位置を福良津付近とみる説が通説であるが、福良津は能登国府のあった現七尾市中心地や羽咋郡家のあった現羽咋市中心地から離れており、渤海国使のような外交使節を休養させ、国府・郡家等と連絡を取りあうのに適当な場所とはいえない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
延暦二三年(八〇四)六月二七日、能登国に対して渤海使のための客院を造るよう命じている(日本後紀)。この「能登客院」の位置を福良津付近とみる説が通説であるが、福良津は能登国府のあった現七尾市中心地や羽咋郡家のあった現羽咋市中心地から離れており、渤海国使のような外交使節を休養させ、国府・郡家等と連絡を取りあうのに適当な場所とはいえない。
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