福浦湊
ふくらみなと
能登金剛の南に連なるリアス海岸の深い入江にある湊。南を日和山台地、北を大崎の断崖に囲まれ、湾中央部に突出する藻ノ崎によって北湾の水澗、南湾の大澗に分れる。湾口には岩礁が点在し、日和山台地とともに季節風から湊を守る役目を果し、古来、日本海岸有数の良港として知られた。古代には福良津・福良泊ともいった。「続日本紀」によると宝亀三年(七七二)二月二九日に渤海への帰国の途についた渤海使壱万福らの一行が、同年九月二一日送渤海客使武生島守らとともに遭難して能登国に漂着したため、「福良津」で休養させたという。元慶七年(八八三)一〇月二九日、渤海使帰還の造船料に充てるため、羽咋郡「福良泊」の大木伐採を禁じている(三代実録)。
延暦二三年(八〇四)六月二七日、能登国に対して渤海使のための客院を造るよう命じている(日本後紀)。この「能登客院」の位置を福良津付近とみる説が通説であるが、福良津は能登国府のあった現七尾市中心地や羽咋郡家のあった現羽咋市中心地から離れており、渤海国使のような外交使節を休養させ、国府・郡家等と連絡を取りあうのに適当な場所とはいえない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 