渤海使(読み)ぼっかいし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

渤海 (ぼっかい) の使者のことで,727 (神亀4) 年から 920 (延喜 20) 年までの間に 35回を数えた。日本からの遣渤海使も 13回に及んだ。渤海 (698~927年) は,初め新羅への対抗から日本との友好関係を求めたが,間もなく両国との関係が改善され,貿易目的が中心となった。朝廷では能登客院や越前の松原客館を設けてこれを受け入れた。渤海からは貂 (てん) などの高級毛皮,人参蜂蜜などの特産品のほか唐・南海文物ももたらされた。また,日本僧などの入唐や唐からの帰国にもさまざまな便宜が与えられた。

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世界大百科事典内の渤海使の言及

【遣渤海使】より

…渤海は698年旧高句麗領の大半を拠点とする高句麗人が各地の靺鞨(まつかつ)人を支配下に置く形で自立したが,当初より唐の冊封(さくほう)を受け,渤海郡王を称したのみでなく,西北の突厥,南の新羅に取り囲まれたきびしい国際環境にあった。727年渤海使の初来航の意図は,このような情勢下で新羅を背後より牽制するために日本と結ぶことにあった。これに対して日本は翌年送使を付して初の遣渤海使とした。…

【鴻臚館】より

…使節の迎接には文人,学者など知識人の選ばれることが多く,滋野貞主,在原業平,大江音人らの名が知られる。大江朝綱が,〈前途程遠し 思ひを雁山の暮(ゆうべ)の雲に馳(は)す 後会期(こうかいご)遥かなり 纓(えい)を鴻臚の暁の涙に霑(うるお)す〉(《和漢朗詠集》)と詠んだのも,908年6月の夜,帰国する渤海使裴璆(はいきゆう)との別れを惜しむ餞別の宴でのことであった。《文華秀麗集》《経国集》にも交歓の詩がみえる。…

※「渤海使」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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