日本大百科全書(ニッポニカ) 「禖子内親王」の意味・わかりやすい解説
禖子内親王
ばいしないしんのう
(1039―1096)
後朱雀(ごすざく)天皇第二皇女。母は中宮嫄子(げんし)女王で、祐子(ゆうし)内親王の同母妹にあたる。1046年(寛徳3)3月、8歳で賀茂斎院(かものさいいん)に卜定(ぼくじょう)、1058年(天喜6)4月病により退下、六条斎院とよばれた。幼時より和歌を好み、永承(えいしょう)(1046~53)初年以降、生涯に二十五度の歌合(うたあわせ)を催行、それらには上東門院彰子(しょうし)、皇后寛子(かんし)、祐子内親王家各所属の女房が自由に交流参加、一つの文学サロンを形成していた。このうち1055年5月3日、18編の物語を新作、作中人物の歌を合わせた「六条斎院物語歌合」は文学史上有名である。「氷魚(ひを)のよる網代(あじろ)にかかる白波は水にふりつむ雪かとぞ見る」(承暦(じょうりゃく)二年十月十九日六条斎院歌合)など繊細な詠風である。
[犬養 廉]