種子島銃(読み)たねがしまじゅう

百科事典マイペディア 「種子島銃」の意味・わかりやすい解説

種子島銃【たねがしまじゅう】

火縄(ひなわ)銃の称。種子島筒,あるいは単に種子島ともいう。1543年(外国史料では1542年)ポルトガル船が薩摩(さつま)の種子島に漂着,2挺(ちょう)の鉄砲をもたらしたのにはじまる。時の領主種子島時尭(ときたか)〔1528-1579〕はこれを購入して模作させ,以後,堺商人橘屋又三郎らを通じて全国に普及従来戦法や築城法を一変させた。→国友鉄砲鍛冶(かじ)
→関連項目種子島

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「種子島銃」の意味・わかりやすい解説

種子島銃
たねがしまじゅう

室町時代の末に日本に伝わった小銃天文 12 (1543) 年8月種子島にポルトガル人が漂着し,先込めの火縄銃を伝えた。領主の種子島時堯 (ときたか) は家臣の篠川小四郎秀重に火薬製法を学ばせ,鉄匠の八板金兵衛尉清定に模造を命じた。これがもととなって日本各所に火縄銃が普及し,種子島といえばこの種の火縄銃をさすようになった。 (→鉄炮記 , 鉄砲伝来 )

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改訂新版 世界大百科事典 「種子島銃」の意味・わかりやすい解説

種子島銃 (たねがしまじゅう)

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世界大百科事典(旧版)内の種子島銃の言及

【種子島】より

…南北朝時代以降島主となる種子島氏はその系統であるが,《種子島家譜》は平家落人の子孫と伝える。1543年(天文12)にはポルトガル船が門倉崎に漂着して鉄砲を伝来し,その後国産銃(種子島銃)の製作に成功した。戦国期にはまた種子島氏と禰寝(ねじめ)氏との抗争が続き,種子島氏は戦国大名島津氏と結んだが,1595年(文禄4)島津以久(もちひさ)領となった。…

【鉄砲】より

…火薬の爆発力を利用して弾丸を打ち出す武器。大砲を含むこともあるが,とくに小銃を指す。ここでは,西洋における鉄砲を含む武器携帯のあり方,日本への鉄砲伝来と近世における鉄砲使用のあり方について説明する。鉄砲の構造,分類,沿革については〈小銃〉の項目を参照されたい。
[西洋]
 銃砲所持,広い意味での武器携帯は,古代社会から今日に至るまでさまざまの規制の対象となっている。古代のローマやアテナイでは市中での武器携帯は禁止され,東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世は私人がかってに武器を製造し取引することを厳禁した。…

※「種子島銃」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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