稲佐神社(読み)いなさじんじや

日本歴史地名大系 「稲佐神社」の解説

稲佐神社
いなさじんじや

[現在地名]有明町大字辺田字稲佐

杵島山中央部の東面の中腹にある。祭神天神・聖王神・女神・阿佐神。大同二年(八〇七)の創祀といわれる。旧県社。「三代実録」に、貞観三年(八六一)従五位下、仁和元年(八八五)従五位上を授けられたとある。正応五年(一二九二)の「惣田数注文」(河上神社文書)には「稲佐社十町」とある。

西国寺社奉行伊豆藤内の「稲佐神社再興表文」には「稲佐大明神、神者人王三十代欽明天皇之朝、附庸国百済聖明王為新羅之寇所殺也、其世子余昌並弟恵等数十人率妻子従族而来于我朝(肥前国誌)とある。余昌が父の遺骨稲佐山(杵島山)山頂に葬り、帰化して稲佐大明神として祀ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「稲佐神社」の解説

稲佐神社

佐賀県杵島郡白石町にある神社。「いなさじんじゃ」と読む。創祀は不明だが平安初期には存在したとされる。祭神は五十猛命(いたけるのみこと)、天神、女神。やがて神仏習合思想の時代となり、弘法大師周辺に真言宗寺院を16坊建立。一帯を「稲佐山泰平寺」と呼ぶようになり、神社は鎮守神とされた。境内の大楠は県指定天然記念物。

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