稲垣稔次郎(読み)イナガキ トシジロウ

20世紀日本人名事典 「稲垣稔次郎」の解説

稲垣 稔次郎
イナガキ トシジロウ

昭和期の染織家(型絵染) 京都市立美術大学教授



生年
明治35(1902)年3月3日

没年
昭和38(1963)年6月10日

出生地
京都府京都市下京区綾小路下ル俵屋町

学歴〔年〕
京都市立美術工芸学校図案科〔大正11年〕卒

主な受賞名〔年〕
国展国画奨学賞〔昭和15年〕,新文展特選〔昭和16年・18年・19年〕,日展特選〔昭和21年〕

経歴
大正11年松坂屋京都支店の図案部に入り、型友禅の図案制作を約10年担当。昭和6年独立、創作活動を始め、13年国画会に入選、同会同人となった。富本憲吉に認められ、富本をリーダーに21年新匠美術工芸会を設立。23年から型染の作品を発表、31年から日本伝統工芸展に出品。京都の風物題材に、詩情豊かな図柄を型染で表現した。また物語や説話を題材とした「平家物語屏風」などの作品も残した。一方、母校の京都市立美術学校教授として後輩の指導にも当たった。他の作品に「壁掛・リング・オブ・グリーン」「ねずみ草紙」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「稲垣稔次郎」の意味・わかりやすい解説

稲垣稔次郎
いながきとしじろう
(1902―1963)

重要無形文化財型絵染め保持者、京都市立美術大学(現京都芸大)教授。当初糊描(のりかき)の作品を試みたが、とくにその名声を高めたのは、1948年(昭和23)46歳の春以来発表を続けた型染めである。その作品は、京都やその周辺の風物や諸行事をテーマとし、作調はまことに典雅で、型染めのもつ量産性よりも芸術的特質に重きを置き、数枚の型紙あるいはその表裏を巧みに駆使して防染糊(のり)を置き、色挿(ざし)している。とくに型紙彫刻の隘路(あいろ)とされる「吊(つ)り」を巧みに模様のなかに溶け込ませているのは、その非凡な意匠力と技をうかがわせる。

[杉原信彦]

『乾由明編『稲垣稔次郎作品集』(1966・光琳社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲垣稔次郎」の解説

稲垣稔次郎 いながき-としじろう

1902-1963 昭和時代の染色家。
明治35年3月3日生まれ。京都松坂屋図案部勤務をへて昭和6年独立し,文展,日展に特選3回。戦後富本憲吉らと新匠美術工芸会を創立する。33年京都市立美大教授。37年型絵染の技法人間国宝。昭和38年6月10日死去。61歳。京都出身。京都市立美術工芸学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「稲垣稔次郎」の解説

稲垣 稔次郎 (いながき としじろう)

生年月日:1902年3月3日
昭和時代の染織家
1963年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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