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稲田竜吉 イナダリュウキチ

6件 の用語解説(稲田竜吉の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

いなだ‐りゅうきち【稲田竜吉】

[1874~1950]医学者。愛知の生まれ。九大・東大教授。ワイル病を研究し、井戸泰とともに病原体を発見。文化勲章受章。

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百科事典マイペディアの解説

稲田竜吉【いなだりゅうきち】

医学者。名古屋の生れ。1900年東大卒,ドイツ留学後1905年九大教授となり,ワイル病の研究に専念,病原体の検出に成功し1915年学会に発表した。1917―1934年東大教授,1944年文化勲章

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

稲田竜吉 いなだ-りゅうきち

1874-1950 明治-昭和時代の内科学者。
明治7年3月18日生まれ。35年ドイツに留学。帰国後,京都帝大福岡医科大学(九州帝大医学部の前身)教授。大正4年井戸泰(ゆたか)とともにワイル病の病原体を発見し,5年学士院恩賜賞。7年母校東京帝大の教授。昭和18年日本医師会会長。19年文化勲章。昭和25年2月27日死去。75歳。愛知県出身。

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世界大百科事典 第2版の解説

いなだりょうきち【稲田竜吉】

1874‐1950(明治7‐昭和25)
内科学者。愛知県生れ。東大卒。青山胤通に師事,ドイツに留学,京都帝大福岡医科大学(現,九州大学医学部)教授。1915年井戸泰(いどゆたか)とともに黄疸出血性レプトスピラ病(ワイル病)の病原体を発見。さらに同病の治療・予防にも論及した。その功績で井戸とともに16年学士院恩賜賞を受ける。20年青山胤通のあとを継いで東大教授となり,以後稲田内科を主宰すること18年におよび,日本の内科学界で重きをなした。1918年から大流行したインフルエンザの研究のほか,結核,糖尿病,脚気,腎疾患,循環器疾患,喘息(ぜんそく)など,内科学全般にわたって関心を寄せた。

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大辞林 第三版の解説

いなだりゅうきち【稲田竜吉】

1874~1950) 細菌学者。名古屋生まれ。東大教授。ワイル病の病原体黄疸おうだん出血性スピロヘータとその感染経路および血清療法を発見。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

稲田竜吉
いなだりゅうきち
(1874―1950)

内科医。名古屋生まれ。1900年(明治33)東京帝国大学医科大学を卒業、同大学助手となり、内科学教室に勤務し、青山胤通(たねみち)に師事した。1902年ドイツに留学、1905年帰国し、九州帝国大学医科大学教授に任ぜられた。1909年、初めてワイル病患者を手がけたことがきっかけで、同病に関する研究を開始、1915年(大正4)井戸泰(やすし)とともに出血性黄疸(おうだん)症(ワイル病)の病原体レプトスピラ・イクテロヘモラギエーを発見。翌1916年、この研究により帝国学士院恩賜賞を井戸泰とともに受賞した。1918年東京帝大医学部教授、のち帝国学士院会員、日本医療団総裁、日本医師会会長となった。1944年(昭和19)文化勲章を受章した。[大鳥蘭三郎]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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