精選版 日本国語大辞典 「穴師坐兵主神社」の意味・読み・例文・類語 あなしにますひょうす‐じんじゃあなしにますヒャウス‥【穴師坐兵主神社】 奈良県桜井市穴師にある神社。旧県社。祭神は兵主神、若御魂(わかみたま)神、大兵主神。垂仁天皇二年の創祀と伝える。大和五社の一つ。大兵主神社。穴瀬明神。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「穴師坐兵主神社」の解説 穴師坐兵主神社あなしにいますひようずじんじや 奈良県:桜井市三輪・纏向地区穴師村穴師坐兵主神社[現在地名]桜井市大字穴師穴師山の山麓、巻向(まきむく)川(穴師川)の北に鎮座。旧県社。兵主神を祀る。「延喜式」神名帳の城上(しきじよう)郡「穴師坐兵主神社名神大、月次相嘗新嘗」にあてられる。現社地は神名帳の同郡所載の「穴師大兵主(あなしのをほひやうずの)神社」の鎮座地で、当社はもと巻向山中にあったが、応仁の乱で焼失したために穴師大兵主(あなしおおひようず)神社へ合祀、同じく城上郡の式内社巻向坐若御魂(まきむくにいますわかみたま)神社も合祀して、主殿を穴師坐兵主神社とし、穴師大兵主神社と巻向坐若御魂神社を相殿に奉斎したと伝える(社伝)。もとは当社を上社、穴師大兵主神社を下社と称していたという。中世には穴瀬明神・穴世神・穴晴神とも記された(大乗院寺社雑事記)。祭神について、御食津(みけつ)神とする説(「大倭本記」釈日本紀、「大倭神社註進状」裏書)、素戔嗚(すさのお)命とする説(度会延経「神名帳考証」)、天富貴(あめのふき)命・建御名方(たけみなかた)命とする説(元要記)、大己貴(おおなむち)神(大国主神)の分身伊豆戈(いつほこ)命とする説(大神分身類社鈔並附尾)、大倭大国魂(おおやまとおおくにたま)神とする説(「神祇志料」ほか)などがある。〈大和・紀伊寺院神社大事典〉〔古代・中世〕社伝によると当社は垂仁天皇二年の鎮座という。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by