竹内勝太郎(読み)タケウチ カツタロウ

20世紀日本人名事典 「竹内勝太郎」の解説

竹内 勝太郎
タケウチ カツタロウ

昭和期の詩人



生年
明治27(1894)年10月20日

没年
昭和10(1935)年6月25日

出生地
京都府京都市

学歴〔年〕
清和中中退

経歴
中学時代から文芸に関心を抱き、中学中退後は多くの職業を転々とする。大正2年上京し、7年京都の日出新聞記者となるかたわら詩作をし、13年「光の献詞」「讃歌」を刊行。京都市私立基督教青年会夜学校でフランス語を学び、ポードレールの詩を訳す。昭和3年刊行の「室内」で詩人としての地位を確立する。3年から4年にかけて渡仏し、ヴァレリーに傾倒する。帰国後京都美術館嘱託となり、6年「明日」を刊行。以後も「春の犠牲」などの詩集を発表し、日本に象徴主義の現代詩を確立。日本における象徴主義の最大の詩人の一人とされる。9年「芸術民俗学研究」「芸術論」を刊行。晩年弟子野間宏富士正晴らがいる。没後、28年「黒豹」が刊行され、「竹内勝太郎全集」(全3巻 思潮社)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「竹内勝太郎」の意味・わかりやすい解説

竹内勝太郎
たけうちかつたろう
(1894―1935)

詩人。京都市に生まれる。家庭不和という不幸な生い立ちのため旧制中学2年で中退。以後、夜学でフランス語を学ぶ。初め三木露風(ろふう)に師事するが、のち離反。1928年(昭和3)渡欧バレリーアランの存在を知る。帰国後、象徴主義の詩集『明日(あす)』(1931)を刊行。35年、正当な評価を受けぬまま黒部峡谷遭難死したが、現在では日本の象徴主義詩人のなかで重要な存在とみられている。没後、詩集『春の犠牲』(1941)、『黒豹(くろひょう)』(1953)などが出版された。ほかに芸術論、芸術民俗学などに注目すべき著作がある。晩年の弟子に野間宏(ひろし)、富士正晴(まさはる)などがいる。

[紅野謙介]

『『竹内勝太郎全集』全三巻(1967~68・思潮社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹内勝太郎」の解説

竹内勝太郎 たけうち-かつたろう

1894-1935 大正-昭和時代前期の詩人。
明治27年10月20日生まれ。三木露風に師事。昭和3年フランスにわたりバレリー,アランに傾倒する。詩集「室内」「明日(みょうにち)」などを刊行,日本の象徴詩を確立した。昭和10年6月25日黒部峡谷で遭難死。42歳。京都出身。著作に「芸術民俗学研究」など。

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367日誕生日大事典 「竹内勝太郎」の解説

竹内 勝太郎 (たけうち かつたろう)

生年月日:1894年10月20日
昭和時代の詩人
1935年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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