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竺法護 じくほうごDharmarakṣa

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

竺法護
じくほうご
Dharmarakṣa

中国,西晋時代の訳経家。インド北方の月氏国の出身。竺法護は中国名。敦煌で8歳のときに出家。のちに長安に出て,次に洛陽に行き,泰始2 (266) 年から永嘉2 (308) 年までに『光讃般若経』『正法華経』などの経典約 150部を訳出した。「月支菩薩」「敦煌菩薩」と称された。

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デジタル大辞泉の解説

じく‐ほうご〔ヂクホフゴ〕【竺法護】

[231~308?]中国、西晋時代の。月氏の出身。西域諸国を巡遊して経典を収集し、般若(はんにゃ)思想の仏典を中心に漢訳。月氏菩薩(げっしぼさつ)。敦煌菩薩(とんこうぼさつ)。

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世界大百科事典 第2版の解説

じくほうご【竺法護 Zhú fǎ hù】

232?‐309?
中国,西晋時代の僧。敦煌の人。竺曇摩羅刹,敦煌菩薩,月支菩薩とも称された。数代にわたって敦煌に定住した月支の末裔で,幼少のころから六経などの中国の古典を博く学習した。彼の生きた時代は,インドではクシャーナ王朝治下で大乗教が興隆し,大乗経典が陸続と創作されていた。一方,中国では西晋末,中原が混乱した政治状況にあったが,中国仏教がようやく勃興しようとしていた。しかし当時の中国仏教界は,訳経を重んずることなく,多数の大乗経典はインドおよび中央アジアから伝来しないままになっていた。

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大辞林 第三版の解説

じくほうご【竺法護】

中国、西晋時代の僧。中国における初期仏教の確立者。月氏の出身で、敦煌とんこうの僧。「正法華経」など一五〇部余の経典を訳出。敦煌菩薩。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

竺法護
じくほうご
(239―316)

中国、西晋(せいしん)時代の訳経僧。敦煌(とんこう)出身のため敦煌菩薩(ぼさつ)と尊称された。「竺」を冠したのは師の竺高座にちなむ。法護は曇摩羅察(どんまらさつ)という音写語からダルマラクシャDharma-rakaであったことがわかる。月氏系帰化人の末裔(まつえい)として敦煌で生まれ育ったが、中国語や中国の古典にも精通していた。出家するや師に伴われて西域(さいいき)三六国を遊歴し、西域諸語を身につけ、多数の西域語仏典を携えて敦煌に帰った。その後、敦煌のほか酒泉、長安、洛陽(らくよう)などで大小乗にわたる仏典150余部を翻訳した。翻訳活動が40年以上に及び、しかも彼のおもな訳経・宣教の地が長安と洛陽であったため、この地域の仏教化に多大の貢献をなした。『光讃般若経(こうさんはんにゃぎょう)』『正法華経(しょうほけきょう)』『維摩詰経(ゆいまきつきょう)』などの大乗仏典、『普曜経(ふようきょう)』『生経(しょうきょう)』などの小乗仏典がとくに有名である。鳩摩羅什(くまらじゅう)以前の訳経を古訳(こやく)と称するが、竺法護は古訳時代を代表する偉大な訳経三蔵である。[岡部和雄]

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世界大百科事典内の竺法護の言及

【敦煌】より

…3世紀になると,敦煌は仏教の東漸ルートの陸港ともいうべき位置にあったため,インドや西域からきた僧侶がいったんはここに落ち着くようになった。訳経僧で〈敦煌菩薩〉と称された竺法護のように,敦煌生れの僧侶もでてきたのである。4世紀初めから5世紀半ばにかけての五胡十六国時代には,河西の通廊地帯に小政権がつぎつぎに興亡した。…

※「竺法護」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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