月氏(読み)ゲッシ

デジタル大辞泉 「月氏」の意味・読み・例文・類語

げっし【月氏】

中国戦国時代から代にかけて、中央アジアで活躍した遊牧民族民族系統は不詳。前3世紀ごろモンゴル高原の西半から西域甘粛西部にまで勢力をのばしたが、前2世紀ごろ匈奴きょうどに追われ、主力イリ地方へ、さらに烏孫に圧迫されてアム川北方へ移動し、大夏を征服して大月氏国を建てた。黄河上流域に残ったものは小月氏という。→大月氏

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「月氏」の意味・読み・例文・類語

げっ‐し【月氏】

〘名〙
① 中国、春秋時代から秦・漢代にかけて、中央アジアで活躍した遊牧民族。トルコ系、イラン系、またはチベット系ともいわれる。紀元前三世紀頃モンゴル高原西部を支配したが、紀元前二世紀ごろ匈奴(きょうど)に追われて、主力はイリ地方からさらにアフガニスタン北部に移り、大月氏国を建てた。甘粛地方にとどまったものを小月氏という。
② 一世紀頃、アム川流域からアフガニスタン北部を支配した民族。クシャン、エフタルなどの別名。禺氏(ぐし)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「月氏」の意味・わかりやすい解説

月氏
げっし

古代中央アジアに活躍した民族名。中国の春秋時代の末から戦国時代の末にかけてモンゴル高原の西半を支配し、東方の東胡(とうこ)民族と内モンゴル方面で境を接していた。秦(しん)末、月氏の人質となっていた匈奴(きょうど)の冒頓単于(ぼくとつぜんう)は月氏から逃れて帰り、匈奴民族を率いて月氏を討ち、これを西方に圧迫し、さらに漢の文帝の4年(前176)ごろ月氏を大征伐してその支配下にあった楼蘭(ろうらん)、烏孫(うそん)、呼掲(こけい)など、タリム盆地天山山脈以北およびその周辺の諸国・諸民族を征服した。月氏の主力(大月氏)が天山山脈の北方イリ方面に移動したのは、おそらくこのときのことであろう。このとき、月氏の一部は甘粛(かんしゅく)、青海両省の中間山脈地帯から黄河の上流域に残存して小月氏とよばれ、羌(きょう)民族と混住同化した。その後月氏の主力(大月氏)はふたたび匈奴に攻撃され、今日のアフガニスタンの北部に移動してバクトリア王国を倒したと考えられる。ストラボンバクトリア王国を滅ぼした民族として伝えられているアシイ(AsiiまたはAsiani)、パシアニPasiani、トカリTochari、サカラウリSakarauliまたはSacaraucaeのうち、アシイあるいはトカリが月氏であろうともいわれているが、明らかでない。紀元前129年ごろ、張騫(ちょうけん)はバクトリアに赴いて月氏に接触しているので、月氏のバクトリア移動はそれ以前のことである。その後唐代に至るまで、いにしえのバクトリアの地域およびそこを根拠とした民族は中国人から月氏とよばれた。紀元前後、月氏はクシャン(貴霜)民族にかわられた。

[榎 一雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「月氏」の意味・わかりやすい解説

月氏 (げっし)
Yuè zhī

中国古代の春秋戦国時代ころから現在の甘粛省地域に勢力を拡張していたイラン系遊牧民族。シルクロード交流の先駆的役割を担っていた。ところがモンゴル高原において匈奴が勢力を拡大し,月氏と西域貿易の利を争うようになり,匈奴の冒頓単于(ぼくとつぜんう)は月氏に壊滅的打撃を与えた(前176ころ)。月氏の主勢力は西方に逃れ,パミール高原を越えてアム・ダリヤ流域に移動し,アフガニスタン北部のバクトリア王国(大夏)を征服した。中国史料は中国辺境に残留したものを小月氏,西方に移動した勢力を大月氏と呼ぶ。漢の武帝の使者張騫(ちようけん)はこの大月氏を訪れ(前139ころ),西方世界の珍しい情報を持ち帰った。なお後1世紀中ごろ,大月氏の地からクシャーナ(貴霜)朝が勃興し,中央アジアからインドにかけて雄飛し,中国史料,漢訳仏典はそれをも大月氏の名で呼んでいる。しかしクシャーナ,大月氏が同一民族であるかどうかは不明である。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「月氏」の意味・わかりやすい解説

月氏【げっし】

中国の秦〜漢代に中央アジアで活躍したイラン系遊牧民族。戦国時代にモンゴル高原の西半を支配する大勢力であったが,前176年ころ匈奴(きょうど)の冒頓単于(ぼくとつぜんう)に追われ,その主力,大月氏は天山山脈の北方に移動,黄河の西に残存したものは小月氏といわれた。大月氏はその後再び匈奴の攻撃を受け,アフガニスタンの北部へ出て,バクトリア王国に西遷した。漢の武帝のとき張騫(ちょうけん)が大月氏に使いしたのは西遷後の前139年ころで,漢は烏孫(うそん)と盟を結んだ。
→関連項目康居

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「月氏」の解説

月氏(げっし)
Yuezhi

古代中央アジアのイラン系とみられる騎馬遊牧民。前4世紀頃,西域をへて中国の西北辺境に進出し,胡服,騎射などの西方の文物を中国に伝えた。モンゴル高原に遊牧民族匈奴(きょうど)が台頭すると,それと敵対し,匈奴の冒頓単于(ぼくとつぜんう),ついで老上単于(ろうじょうぜんう)との激しい戦争に敗れ(前160年頃),主勢力はパミール西方に逃れた。それを大月氏と呼び,河西地方に残存した小月氏と区別する。大月氏はシル川を越え,アム川流域に存在したギリシア人のバクトリア王国を滅亡させた(前145年頃)。漢の武帝張騫(ちょうけん)を派遣し,匈奴に対する軍事同盟を結ぼうとしたが,月氏はすでにその地に安住して同意せず,彼らの関心はむしろヒンドゥークシュ南のインドにあった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「月氏」の意味・わかりやすい解説

月氏
げっし
Yue-zhi; Yüeh-chih

中央アジアで活躍した古代民族。人種的帰属は不明で,チベット人,トルコ人などさまざまの説がある。中国の春秋時代 (前8~5世紀) 頃からモンゴル高原の西半を支配していたらしく,中国の史料には「禺氏 (ぐうし) 」「和氏 (かし) 」などという名で記されている。秦末,漢初の頃から次第に勢力を増してきた匈奴冒頓単于 (ぼくとつぜんう) に破られ (前 176頃) ,主力は西方に移動し (大月氏と呼ばれる) ,一部は南山から黄河上流域にとどまって (小月氏) ,大月氏はバクトリアおよびアフガニスタンの地 (バクトリア王国跡) に国家をつくった。バクトリア侵入の確実な年代は不明であるが,前 139~129年の間と考えられる。1世紀後半,その支配下にあった貴霜翕侯 (クシャンキュウコウ) クジューラ・カドフィセースに滅ぼされた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「月氏」の解説

月氏
げっし

戦国時代から漢代にかけて中央アジアで活躍した民族
初め甘粛 (かんしゆく) 地方で農業・牧畜を行い,中国とオアシス諸国の間で中継貿易に利を占めた。秦末期に匈奴の冒頓単于 (ぼくとつぜんう) に圧迫されて西方に移動し,イリ地方に移るが,烏孫 (うそん) に追われてアム川北岸に国を建て,バクトリアに代わって栄えた。これを大月氏と呼ぶ。漢の武帝は,匈奴を討つために月氏と同盟を結ぼうと張騫 (ちようけん) を遣わせたが,大月氏はこれを拒否した。甘粛にとどまったものを小月氏と呼ぶ。人種については,トルコ系,イラン系の両説がある。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android