簡野道明(読み)カンノドウメイ

デジタル大辞泉 「簡野道明」の意味・読み・例文・類語

かんの‐どうめい〔‐ダウメイ〕【簡野道明】

[1865~1938]漢学者愛媛の生まれ。名は「みちあき」とも。東京女高師教授中国へ留学し、古書収集研究努力漢和辞典字源」を編集。著「論語解義」など。

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精選版 日本国語大辞典 「簡野道明」の意味・読み・例文・類語

かんの‐どうめい【簡野道明】

  1. 漢学者。伊予吉田藩の人で、江戸生まれ。東京女子高等師範学校教授。辞任後、中国に渡って古書の採集・研究を行なう。著「字源」「故事熟語大辞典」「論語解義」など。慶応元~昭和一三年(一八六五‐一九三八

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20世紀日本人名事典 「簡野道明」の解説

簡野 道明
カンノ ミチアキ

明治〜昭和期の漢学者 東京女高師教授。



生年
慶応1年(1865年)

没年
昭和13(1938)年2月11日

出生地
江戸

出身地
伊予国(愛媛県)

別名
幼名=米次郎

学歴〔年〕
愛媛師範〔明治17年〕卒,東京高師国漢専修科〔明治29年〕卒

経歴
愛媛師範卒後、県内や兵庫県の小学校に勤務ののち、東京高師に学ぶ。東京師範教諭を経て、明治35年東京女高師教授に就任、大正3年辞職。その間、「故事成語大辞典」を編集した。退職後は辞典編纂を行ない、特に20年の歳月をかけ、12年に刊行した漢和事典「字源」で評価を得た。この他、諸種の漢文読本・文粋・校本、「補註論語集註」「論語解義」「孟子集註」、また「唐詩選」や和漢名詩の解釈本などを世に出し、漢学の普及と啓蒙につとめた。漢詩集「虚舟詩存」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「簡野道明」の意味・わかりやすい解説

簡野道明
かんのみちあき
(1865―1938)

漢学者。名前は「どうめい」とも読む。字(あざな)は子潔、幼名は米次郎、虚舟・柳郷と号した。伊予国(愛媛県)吉田藩士の子として生まれ、幼時から漢学に親しんだ。東京高等師範学校(後の東京教育大学。現、筑波(つくば)大学)を卒業後、一時、東京女子高等師範学校(現、お茶の水女子大学)教授を務めたが、その間に『故事成語大辞典』を編集した。1914年(大正3)病を得たのを機にいっさいの公職を退き、著述に専心して、諸種の漢文読本、文粋(もんずい)、校注を出した。『補註(ほちゅう)論語集註』『補註孟子(もうし)集註』は教科書として多く採用され、漢和辞典の『字源』は版を重ねて、漢学の普及に役だった。

[今井宇三郎 2018年10月19日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「簡野道明」の解説

簡野道明 かんの-みちあき

1865-1938 明治-昭和時代前期の漢学者。
慶応元年伊予(いよ)(愛媛県)吉田藩士の子として江戸藩邸に生まれる。小学校教諭などをへて,明治35年女子高等師範の教授となる。大正12年漢和辞典「字源」をあらわした。昭和13年2月11日死去。74歳。高等師範卒。字(あざな)は子潔。号は柳郷,不除草堂主人など。著作ほかに「故事成語大辞典」など。

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百科事典マイペディア 「簡野道明」の意味・わかりやすい解説

簡野道明【かんのどうめい】

漢学者。愛媛県出身。東京高師卒。中国古代哲学および文学を専攻し,長く東京女高師教授を務めた。《故事成語大辞典》(1907年),《字源》(1923年)の著者として知られる。
→関連項目漢和辞典

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