日本歴史地名大系 「籠屋町」の解説 籠屋町つづらやちよう 京都市:下京区豊園学区籠屋町下京区高倉通高辻下ル南北に通る高倉(たかくら)通(旧高倉小路)両側町。平安京の条坊では、町の西側が左京五条四坊二保四町東、東側は同五町西にあたる。平安時代中期以降は高辻高倉小路南の地。平安時代末期、当町には左大臣藤原経宗の邸宅があったとされるが、史料的裏付けはなく、「京都府地誌」には「花洛往古図ニ出ツ」とある。経宗の主たる邸宅は「参院御所左大臣大炊御門富小路亭」(「玉葉」文治二年七月七日条)とある大炊御門(おおいのみかど)亭であったようである。 籠屋町かごやまち 徳島県:徳島市徳島城下籠屋町[現在地名]徳島市籠屋町一―二丁目・紺屋町(こんやまち)東新(ひがししん)町(鍛冶屋町)の南東から南へ分れた通り沿いの町人地。籃屋町とも記される。貞享二年(一六八五)の市中町数並家数(民政資料)には記載がなく、元禄四年(一六九一)の御山下絵図に「かこや町」とある。貞享二年と同四年の二度にわたる新町大火後に造成・整備された新興の町と考えられる。「阿波志」によれば、蜂須賀氏の入国後に召出されてのち致仕した播磨国三木出身の青山勝左衛門の子が、商人姫路屋となり籠屋町に地所を与えられたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by