日本歴史地名大系 「米沢城跡」の解説
米沢城跡
よねざわじようあと
米沢盆地の南端、
慶長三年(一五九八)からは会津領一二〇万石の上杉景勝の支城となり、家老直江兼続が入城。このとき城郭は一重堀で、本丸と二の丸があり、正門は北向きであった(旧米沢市史)。関ヶ原の合戦で西軍に属した上杉家は、同六年
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
米沢盆地の南端、
慶長三年(一五九八)からは会津領一二〇万石の上杉景勝の支城となり、家老直江兼続が入城。このとき城郭は一重堀で、本丸と二の丸があり、正門は北向きであった(旧米沢市史)。関ヶ原の合戦で西軍に属した上杉家は、同六年
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