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紀時文 キノトキブミ

デジタル大辞泉の解説

き‐の‐ときぶみ【紀時文】

平安中期の歌人。貫之(つらゆき)の子。梨壺(なしつぼ)の五人の一人。村上天皇の勅により万葉集の訓釈を行い、また後撰集を撰進。生没年未詳。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

紀時文 きの-ときぶみ

?-? 平安時代中期の官吏,歌人。
紀貫之(つらゆき)の子。近江少掾(おうみのしょうじょう)などをへて大膳大夫(だいぜんのだいぶ)となる。天暦(てんりゃく)5年(951)撰和歌所の寄人(よりゅうど)となり,梨壺(なしつぼ)の五人のひとりとして「万葉集」を訓釈し,「後撰和歌集」の撰集にあたる。歌は「後拾遺和歌集」などの勅撰集に5首あるが,歌人としては「ただ父が子といふばかり」と評された。没年は長徳2年(996)か3年という。

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朝日日本歴史人物事典の解説

紀時文

没年:長徳2.3(996.7)
生年:生年不詳
平安時代の歌人。貫之の子。蔵人,近江少掾,少内記,大内記,大膳大夫などを歴任,従五位上に至る。天暦5(951)年,村上天皇が後宮の昭陽舎(梨壺)に撰和歌所を設けたとき寄人として召され,いわゆる梨壺の五人のひとりとして,『万葉集』の訓点と『後撰集』の編纂に携わった。しかし,順徳上皇が『八雲御抄』で「ただ父が子といふばかりなり」と評しているように,歌人としての力量は極めて乏しく,勅撰集入集歌も『後拾遺集』以下にわずか5首を数えるにすぎない。<参考文献>村瀬敏夫「紀時文考」(『湘南文学』5,6合併号)

(田中登)

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世界大百科事典 第2版の解説

きのときぶみ【紀時文】

平安中期の歌人。生没年不詳。997年(長徳3)ころ,70歳を超す高齢で没した。紀貫之の子。内蔵介従五位上,大膳大夫となる。951年(天暦5)に,源順,大中臣能宣坂上望城清原元輔とともに,昭陽舎(梨壺)に設けられた撰和歌所の寄人(よりうど)となり,村上天皇の命を受けて,《万葉集》に初めて訓点をつけ,《後撰和歌集》を編纂する仕事に従事する。梨壺の五人の一人。《後拾遺集》以下の勅撰集に5首入集しているが,家集はない。

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大辞林 第三版の解説

きのときぶみ【紀時文】

平安中期の歌人。貫之の子。梨壺の五人の一人として万葉集の訓釈(古点)並びに後撰和歌集の撰進に参加。生没年未詳。

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世界大百科事典内の紀時文の言及

【梨壺の五人】より

…951年(天暦5)10月,村上天皇の勅命によって,《万葉集》の訓釈と第2番目の勅撰集《後撰集》の撰という二つの事業が課せられ,内裏の後宮にある昭陽舎(梨壺)に初めて撰和歌所が置かれた。別当(長官)には左近少将藤原伊尹(これただ)が任ぜられ,讃岐大掾大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ),河内掾清原元輔,学生源順(みなもとのしたごう),近江少掾紀時文,御書所預坂上望城(さかのうえのもちき)の5人が事にあたった。能宣,元輔は当代歌人の代表者,順は和漢にわたる随一の学識者,時文は能筆の者,望城は御書所の図書責任者であったから,それぞれの能力や立場に応じて撰集と訓釈という両面の仕事が分担されたと想像される。…

※「紀時文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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