江戸時代の「蔵米(くらまい)」に対する語で、貢租米以外の商人米をいう。江戸や大坂に集散された米の多くは、各藩の設置した蔵屋敷を経由して売却された(蔵米という)が、蔵屋敷を経由しないで民間の問屋商人らの手により集荷・売却されたものもあった。それを納屋米という。つまり、蔵米が領主の貢租や専売品であったのに対して、納屋米は農民の年貢余剰米などであった。大坂に集散した蔵米は年間300万~400万俵に達したが、納屋米はほぼその4分の1であった。それでも、江戸中期以降、大坂への納屋米の集散はさらに増加したため、1835年(天保6)納屋米を扱う納屋物雑穀問屋が成立している。納屋米の増加は、蔵米を基礎とする領主経済に打撃を与えるようになった。
[土肥鑑高]
『土肥鑑高著『米と江戸時代』(1980・雄山閣出版)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…廻着米は蔵元,蔵屋敷,掛屋商人を通じて売却されたが,米価の低下,大名貸の累積等によってこれら商人が廻米を牛耳るようになった。一方,はじめ少なかった諸藩の積出地等での地払米も増加し,これに農民余剰米を加えた商人米(納屋米)が,米相場を求めて廻米され,早くも元禄期(1688‐1704)には大坂・江戸の米市場は供給過剰となった。享保期(1716‐36)に至ると幕府は米価調節のため大坂・江戸への廻米制限を行うようになった。…
…(1)江戸時代,諸藩の蔵屋敷を通じて商品化される米穀。これにたいし蔵屋敷を経由しないで,商人の手によって商品化されるものは納屋米(なやまい)という。各藩で収納された年貢米は,国元において藩主の御用や家臣の俸禄米として支出されたり,城下町で一部払米(はらいまい)されるほかは,大坂や江戸にある藩の蔵屋敷へ蔵米として回送され,そこで藩役人の蔵元もしくは町人蔵元によって販売され,代金は藩の財政収入となった。…
…米の市場は大坂と江戸が中心であった(米市)。流通米には蔵米(くらまい)と納屋米(なやまい)とがあった。蔵米は領主が徴収した年貢米のうちから,家臣の禄米などを支出した残りを払い下げたもので,大坂には西国,北国の諸藩の蔵屋敷が置かれ,蔵元(くらもと)が売買にあたり掛屋(かけや)が代金を出納した。…
※「納屋米」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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