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細川持之 ほそかわ もちゆき

美術人名辞典の解説

細川持之

室町中期の武将。満元の子、勝元の父。中務少輔・右京大夫と称される。斯波義淳の後任として管領を務め、また摂津・丹波・土佐・讃岐の守護として将軍足利義教の体制を支える。赤松満祐邸で義教が殺害されると、遺児義勝を擁立し、赤松討伐軍を派遣し、満祐を播磨に討滅した。嘉吉2年(1442)歿、43才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

細川持之 ほそかわ-もちゆき

1400-1442 室町時代の武将。
応永7年生まれ。細川満元(みつもと)の子。兄持元の早世により家督をつぐ。永享4年管領(かんれい)となり,幕政に参画したが,将軍足利義教(よしのり)の専制をおさえられなかった。嘉吉(かきつ)の乱で義教が赤松満祐(みつすけ)に殺されると,幼少の足利義勝を将軍とし,満祐を討った。嘉吉2年8月4日死去。43歳。通称は九郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

細川持之

没年:嘉吉2.8.4(1442.9.8)
生年:応永7(1400)
室町時代の武将,室町幕府管領。九郎。右京大夫。満元の子。永享1(1429)年7月,兄持元の早世により家督を継ぎ,摂津,丹波,讃岐,土佐の守護となる。同4年10月管領となるが,将軍足利義教が専制政治に傾くなかで保身のため追従をこととし,辛うじて義教による弾圧を免れた。嘉吉の変勃発に際しては無抵抗のまま赤松邸から醜く這って逃げ帰り,赤松満祐との通謀を疑われる始末だったが,その後義教に弾圧された人々を赦免し,満祐追討軍を発向させた。晩年は畠山持国の台頭もあって人望を失い,嘉吉2(1442)年6月病のため管領を辞した。

(森田恭二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

細川持之
ほそかわもちゆき

[生]応永7(1400)
[没]嘉吉2(1442).8.4. 京都
室町幕府管領 (在職 1432~42) 。満元の子。右京大夫。永享4 (32) 年管領に就任。将軍足利義教のもとで守護大名の統制に尽力し,永享の乱には足利持氏を討滅した。義教が赤松満祐に殺されたあとも,義教の子義勝を将軍に立て,播磨で満祐を誅した。

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