この言葉は1968年3月,アメリカの国際開発局長であったウィリアム・S.ガウドが,国際開発協会(第二世銀)で行った講演で初めて使ったといわれる。その後レスター・R.ブラウンがレポートで用いてから,急速に世界中に広まった。また同一内容のことを〈種子・肥料革命seed-fertilizer revolution〉と呼ぶ人々もいる。しかしこの緑の革命の定義は,必ずしも定まったものではない。穀類の多収品種の栽培を灌漑,肥料,農薬,農業機械などの技術革新と並行してすすめ,伝統的農法から脱却して食糧増産をはかり,発展途上地域を中心とした人口増加に対処しようとするもので,育種から社会経済にいたる広い内容をもつ。言葉の内容自体も経験や研究がすすむにつれて広く深くなっている。
緑の革命の推進者の一人ボーローグNorman E.Borlaug(1914- )は,多収性のメキシコ短稈小麦を育成した功によって1970年ノーベル平和賞を受けている。日本の小麦〈農林10号〉がその片親となっていることでも有名なこのメキシコ短稈小麦は,1963年にロックフェラー,フォード両財団の援助でメキシコに開設された,国際トウモロコシ・コムギ改良センターCentro Internacional de Mejoramiento de Maiz Y Trigo(CIMMYT)で育成され,メキシコ,インド,パキスタンなどに急速に普及した。
また同じく両財団の援助で1962年フィリピンのマニラ近郊ロスバニオスの政府提供の土地に国際稲研究所International Rice Research Institute(IRRI)が開設され,世界各地から優秀な科学者たちを集め,65年に奇跡の米(ミラクル・ライス)と呼ばれた新多収短稈稲品種IR-8,その翌年に同じくIR-5を公表した。これら新品種は,これまでの在来種に対し,きわめて優れた特徴をもっていた。第1にきわめて多収であること,これは在来種の3倍以上というもので,第2に極端に短稈になったこと,これは在来種が180cm内外であるのに対し100cm内外というもので,かえって後に深水地帯の導入を阻害することになった。第3に草型が光合成に都合のよいように葉が直立して短く,下葉まで日光がよく通り,水切りが早いこと,第4に生育日数が在来種で180日程度のものが,IR-8では125~135日と短くなり,台風期をたくみに避けることができる性質をもっていること,第5に季節的な日長の変化に感じない非感光性,つまり〈時なし〉となったので,時期や緯度を選ばず,いつでもどこでも播種できるという性質をもっていること,第6に多収となるための性質として肥料の吸収利用効果の高い耐肥性という特別の性質をもっていること,第7に比較的病虫害にも強い性質をもったが,白葉枯病などまだ弱点を完全に取り去っていない欠点も残していた。以上のような性質は,総じて水利調節のよい水田で,しかも肥料,農薬などを多用できる条件が必要で,それらの条件を欠く場合には,本来のこの優れた能力が十分に発揮できず,多収を期待できない性格であった。このため緑の革命の普及にあたって,灌漑排水施設を欠くアジアの貧しい農村では,多くの制約をもつことになった。IR-8,IR-5はインデカ系の耐肥多収性品種としては画期的な新品種で,アジアなど熱帯の発展途上国が次の新技術段階へ突入していくための一つの入口に立ったことを示す品種となった。
発展途上地域では十分な肥料を確保するのが困難で,地域,環境に適応した各種タイプの品種が要求される。このため国際稲研究所は1973年ころから従来の育種目標であった多収主義を変え,セミ・ドワーフ(短稈性)のみでなく,草型もさまざまで,特定の環境に適応する特別の新品種の育成が76年から基本方針となった。このころから多収品種を含めた改良品種という言葉が多く用いられ,緑の革命の対象は米麦から雑穀に拡大した。緑の革命は,人口の急増による食糧不足という熱帯の発展途上国の厳しい現実に対処するための食糧増産という内容から,新改良品種を中心に農業の全部門に近代的技術を導入することを社会発展の推進力と考えるきわめて広範囲な内容を包含していくようにさえなった。緑の革命の開始期は1965-66年とされており,インドの大凶作のさなかで,IR-8,IR-5の公表された年である。これはアメリカがアジアの食糧不足の解決と政治的安定のために活発な活動を開始した時期にあたっている。その推進の担当者となったのは,主として農業部門の研究者,育種家,開発計画に参画する官僚などのテクノクラートと呼ばれる集団であった。この実践上の既成事実が先行し,開発理論がこれを追いかけて理論づけた。緑の革命の評価は必要以上に厳しいものもあったが,伝統的農法に対する国民的反省と農業開発への刺激を与え,伝統農業への変革への門を開いたことは高く評価できよう。そしてこれは本質的には,1980年代に入ってもまだ進行している。
執筆者:家永 泰光
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農業の生産性向上を目的とし、穀物類の品種改良などの農業技術の革新と、発展途上国への導入の過程をいう。1960年代に入って、アメリカをはじめとする先進国の農業研究所で、トウモロコシ、小麦、イネなどの品種改良、とくに収穫量の多い改良品種の開発が進められた。なかでも、ロックフェラー、フォード両財団の援助で1962年にフィリピンに設立された国際イネ研究所International Rice Research Institute(IRRI)では、1966年にいわゆるミラクル・ライス(奇跡の米)とよばれるIR‐8が開発され、また、同じく両財団の援助で1963年にメキシコに設立された国際トウモロコシ小麦改良センターCentro Internacional de Mejoramiento de Maiz y Trigo(CIMMYT)では、メキシコ小麦とよばれる多収穫品種が開発された。
これらの新品種は、発展途上国における食糧不足を解消し、さらには食糧の増産による自給体制を確立することを目的に途上国に積極的に導入された。東南アジアにおいては、主としてIR‐8が導入された。この新品種は、収穫量を従来の品種の約2倍に増加することができるものであるが、大量の肥料や農薬の散布、灌漑(かんがい)設備や農機具の充実など、近代的農業技術の導入を前提とするものであり、多額の資本投下を必要とするものであった。そのため、新品種を導入できる農民や地域と、できないものとができ、農村内部の階層間、地域間の所得格差を拡大させた。また、化学肥料、農薬の大量投与による環境汚染や、新品種が短茎性で多肥料を必要とするため雨期のデルタ地帯に適さないという欠点も指摘された。
このように、1960年代の中ごろから推進された緑の革命は、所期の目的を達成することができず、1970年代以降、新品種を導入した国々の農業生産は、新品種導入の諸前提の不備に天候不順などの要因も加わって、停滞した状態のままである。
[秋山憲治]
緑の革命は、一時的に収穫量の増大をみたが、肥料、農薬の大量投与による環境破壊や伝統的農村文化の崩壊を招いたなど、多くの批判もあびた。一方、アジア、アフリカの開発途上の国にある深刻な食糧不足の対策として「第二の緑の革命」を求める声もある。1980年代後半から、アフリカにおいて多収穫の新品種の導入が始まっている。また、新しいバイオテクノロジーによる多収穫品種の開発も行われているが、遺伝子組換えなどの技術に対する反発や、商品化された新品種を企業が占有するなどの問題点も指摘されている。
[編集部]
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…近年は広域適応性をもち関東以西に広く普及した日本晴,食味優良という点で,北陸・東北地方を中心に広く栽培されているコシヒカリ,ササニシキなどが有名である。外国に目を向けると,〈緑の革命〉をになう一方の旗頭としてメキシココムギと並び称されたIR‐8(フィリピンの国際稲研究所で育成)や,韓国の稲作収量を飛躍的に向上させた日印交雑系品種(日本型とインド型のイネの交配による)が著名である。
【イネの一生】
十分吸水したイネの種子は,10~15℃の温度があれば発芽し,1本の根(種子根)を地中に伸ばし,同時に幼芽は地上に出現して主茎となり,鞘葉(しようよう),第1葉,第2葉が順次展開してくる。…
…90年代の自由化政策はこのような開発方式を大きく変えた。(2)緑の革命による農業の発展 緑の革命は世界的な現象であったが,インドでは小麦地帯である北西のパンジャーブ,ハリヤーナー両州や,その東のウッタル・プラデーシュ州西部を中心に1967年から始まった。その過程で改良品種の作付け,灌漑設備の拡大,灌漑のためのディーゼルや電力の使用,化学肥料や農薬の投入が増加し,米と小麦,特に後者の生産が上昇した。…
…現在そこは世界有数の灌漑農業地帯となっている。1960年代末からの〈緑の革命Green Revolution〉が最も成功したのはこの一帯であり,カリフ作の米とラビ作の小麦の相互乗入れによる米麦二毛作の拡大がみられる。 主穀と綿花以外の重要農作物としてサトウキビがある。…
…主要なカリフ作物は稲とジュートであり,ラビ作物は豆,ミレット(雑穀),野菜といった畑作物である。伝統的な主作物である稲は,従来の雨季のアマン稲(晩生種)単作から1950~60年代に雨季のアマン稲とアウス稲(早生種)の二期作化によって収量を倍に伸ばし,60年代半ば以降〈緑の革命〉によって雨季のアマン稲と乾季のボロ稲(冬季栽培種)の二期作化が実現し,さらに収量を倍増させた。伝統的には無視しうる程度のボロ稲の生産量は88‐89年には37.5%に達した。…
※「緑の革命」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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