改訂新版 世界大百科事典 「聖婚」の意味・わかりやすい解説
聖婚 (せいこん)
〈聖なる結婚〉の意で,男神と女神の結婚,あるいは神と人間との結婚のこと。ギリシア語のヒエロス・ガモスhieros gamos,それに由来する英語ヒエロガミーhierogamyなどの訳語であり,〈神婚〉ともいう。神話や伝説に多数語られており,儀礼を伴っていることも少なくない。ギリシア神話の主神ゼウスとその正妻ヘラとの結婚は,古代ギリシアでは特別に重要視され,各地で祭式として繰り返し記念され,結婚の神聖と意義を強調する機能を果たした。聖婚神話(伝説)は,古代文明地帯やその影響圏においてことに発達し,その場合,しばしば宇宙論的色彩を伴っている(創世神話)。日本神話において伊弉諾(いざなき)尊と伊弉冉(いざなみ)尊が原初の島オノゴロジマで結婚し,大八州(おおやしま)と神々を生んだというのも聖婚神話の一例で,伊弉諾は父なる天,伊弉冉は母なる大地を表している。ポリネシアのマオリ族の神話では,天父ランギは地母パパと原初の暗黒のなかで抱擁し合っていたが,子どもの森の神タネによって引き離され,天地が分離した。聖婚神話には豊穣儀礼が伴っていることがある。東部インドネシアのレティ,モア,ラコールなどの諸島では,毎年,雨季モンスーンの開始にあたって,天神ウプレロは祭儀中に一本の聖樹をつたって降臨し,大地の女神ウプヌサと結婚し,これをはらませる。この際,住民の性的乱交が行われる。同様にインドのオラオン族では,太陽神と大地女神との神婚が毎年祝われ,これによって豊穣がもたらされるが,同時に人間たちの乱交が行われる。
神が人間と結婚する形式の聖婚神話(伝説)は,英雄の生誕(英雄神話)や特定家系の由来を基礎づけていることが多い。ギリシア神話では,アルゴス王アクリシオスAkrisiosは一人娘ダナエDanaēを青銅の密室のなかに隔離していたが,大神ゼウスは黄金の雨となってダナエと通じ,2人の間に英雄ペルセウスが生まれた。日本では大和の三輪山の大物主神が活玉依毘売(いくたまよりびめ)に毎夜通って生ませた子の子孫が河内の美努(みぬ)村の意富多多泥古(おほたたねこ)であって,崇神天皇はそれに三輪山の神をまつらせたという。
執筆者:大林 太良
聖婚儀礼の諸相
聖婚儀礼は,古代オリエントやその周辺の社会でとりわけ広く行われていた。それは,しばしば未婚の女性によって演じられた聖なる花嫁と穀物神に擬せられた王との婚姻を原型としている。宗教学的には,大地の豊穣を確実にするための象徴儀礼であり,その背後には,地母神に対する崇拝が存在していた。聖婚儀礼は,小アジアから東部地中海沿岸一帯に広く分布していたが,その中心地はキプロス島の南西端のパフォスPaphosにあるアスタルテ(ギリシアのアフロディテと同一視された)の神殿であった。この地域に住む未婚女性は,結婚前に神殿に詣で,一夜パフォスの王の前に聖なる花嫁として処女を捧げる習俗に従っていた。この儀式は,地母神アスタルテ=アフロディテとその愛人である穀物神アドニスとの間に演じられる聖なる婚姻のドラマの再演であるとみなされていた。J.G.フレーザーによると,キプロスにおけるこのような儀礼は,地母神をまつるすべての神殿に共通にみられ,女性は神殿において,しばしば神にみたてた見知らぬ客人に処女を捧げる役割を演じたという。
地母神の名は地域によって変化し,キュベレ(小アジア),イシュタル(バビロニア),イシス(エジプト),アフロディテ(ギリシア),アスタルテ(フェニキア)など呼称は大きく相違しているが,基本的性格はまったく変わらない。バビロニアにおいては,すべての女性はイシュタルの神殿に参籠し,貧富の別にかかわりなく,生涯に一度見知らぬ客人に身を任せ,そこで得た報酬を地母神に奉献することが義務づけられていた。その結果,神殿聖域はこのような義務を履行しようと順番を待つ女性でにぎわい,数年間も空しく待ち続けねばならぬ女性さえまれではなかったという(フレーザー《金枝篇》)。フェニキア人の女性の間では,神殿参詣の折,つとに売淫する習俗があったが,これも地母神の祝福にあずかるため,その報酬を神殿に献ずることが最高の宗教的行為とみなされていたからであった。それを好まぬ女性には,祭礼期間中,穀物神の死をいたんで剃髪し,神殿に献じる義務が課されていた。リュディアのトラレスで出土したギリシア語の碑文には,こうした慣行が2世紀ころまでも続いていたことが記録されている。キリスト教に改宗したローマのコンスタンティヌス大帝が,バールベクに根強く生きるアスタルテ崇拝と〈聖娼religious prostitution〉の慣行に手を焼き,性的不道徳の根絶を理由に神殿の徹底的な破壊を命じたのは,記録によると4世紀であった。
M.エリアーデによると,古代オリエント社会に広く分布したこうした性風俗は,一般に古代社会における農耕儀礼に,その起源をたどることができるという。古代人にとって,農耕は植物生命再生の神秘のドラマであり,農耕労働は,地母神の体の上で行われる儀礼そのものであった。フレーザーはこれを《金枝篇》の中で,古代人の魂をとらえた大地の上で演じられる壮大な生と死のドラマとして美しく描き出している。それは植物神の死を悲しむ慟哭(どうこく)にはじまり,復活再生の祈願を経て,熱狂的な再生の歓喜でもって終わる一連の儀礼として定型化されていた。小アジアのフリュギア地方に伝わるアッティス崇拝では,穀物神アッティスの死を嘆き,その再生を祈願する人々が,自己の肉体を切り裂き,その血と肉をアッティスの愛人女神キュベレに捧げたあと,アッティスの復活を祝う狂熱的な歓喜の爆発をもって祭りは終わる。ここでは女神キュベレは,年ごとにその死が嘆かれて春に草木とともに再生する植物霊のシンボルである男神アッティスの再生を左右する原理としてきわめて重要な役割をになっていた。
地母神が,いずれもこうした植物生命の再生原理とみなされていた信仰が問題なのである。これは,植物の採取,ひいてはその栽培に人間の生活が依存していた太古の社会において,女性が農耕生活の担い手であった母権社会の基本原理を表現しているとも解されよう。したがって,これらの儀礼の背後には,大地のもつ豊饒性と女性の多産性とのあいだに明白な類比(アナロジー)をみた古代人の宗教的観念が横たわっている。スミスWilliam Robertson Smith(1846-94)の《セム族の宗教》(1889)によると,古代セム民族は,大地と女性とを同一視していた。女は畑であり,たわわに房をつけたブドウの木であった。またエリアーデによると,女性を鋤(す)き返された畑のうねにたとえ,男性性器を鋤にみたてて,耕作労働と生殖行為とを同一視する観念は,古代に限らず農耕社会にきわめて普遍的な観念であるという(《大地・農耕・女性》1958)。近年にいたるまで,東プロイセンではエンドウの種子をまくために女が裸体で畑に出ていく習俗が守られていたとか,フィン人の間では畑に最初の種子を運んでいくときは,月経期間中身につける着衣をまとい,娼婦の用いる靴をはいた女性の手によらねばならなかったというような報告もある。なお,日本の上代の文献に数多くみられる一夜妻や遊女をはじめ,近世の〈歩き巫女(みこ)〉が,しばしば売淫を行った事実は,沖縄の〈ずり〉や中国の巫娼(ふしよう)などとともに,日本における太古の聖婚の記憶を今にいきいきと伝えるものといえるだろう。
執筆者:山形 孝夫
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