改訂新版 世界大百科事典 「胡宗憲」の意味・わかりやすい解説
胡宗憲 (こそうけん)
Hú Zōng xiàn
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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中国、明(みん)代の政治家。安徽(あんき)省績渓(せきけい)県の人。字(あざな)は汝貞(じょてい)、号は梅林。1538年の進士。権臣厳嵩(げんすう)、その腹臣趙文華(ちょうぶんか)と結んで、55年6月に浙江巡按御史(せっこうじゅんあんぎょし)から浙江巡撫(じゅんぶ)に抜擢(ばってき)され、倭寇(わこう)対策を講じた。このとき、寧波(ニンポー)府生員蒋洲(しょうしゅう)の献策をいれ、蒋洲、陳可願を日本に派遣し、勅諭を伝達して倭寇を禁止させようとした。その真のねらいは、日本の五島、平戸を本拠とする海寇(海商)王直(おうちょく)を説得して帰順させることにあった。翌56年2月には浙直総督に上り、海寇の徐海、陳東、葉麻らを分離工作により孤立させて鎮定し、王直をその軍門に降伏させた。その功績で太子太保となったが、厳嵩父子の失脚後に彼も弾劾され、獄死した。
[佐久間重男]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…王直は日本の平戸・五島地方を根拠として大船団で中国沿岸を攻撃した。明では,胡宗憲(こそうけん),戚継光(せきけいこう),兪大猷(ゆたいゆう)らが海防にあたり,それぞれに功績をあげた。やがて海禁令が解除されるとともに,日本における豊臣秀吉の国内統一がすすむと,倭寇はしだいにおさまった。…
※「胡宗憲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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