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胡宗憲 こそうけんHu Zong-xian; Hu Tsung-hsien

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

胡宗憲
こそうけん
Hu Zong-xian; Hu Tsung-hsien

[生]?
[没]嘉靖44(1565)
中国,の政治家。績渓 (安徽省) の人。字は汝貞。諡は襄懋。倭寇平定に功があったので有名。嘉靖 17 (1538) 年の進士。知県から御史に進み,浙江を巡按し巡撫,総督を歴任した。当時日本の五島に拠っていた密貿易者の首領王直の誘導のもとに倭寇が激しかったが,その鎮定に努め,策を用いて陳東,麻葉,徐海らの頭目を捕え,続いて王直をも欺いて投降させた。策謀家で功名心が強く,趙文華と結び厳嵩 (げんすう) に取入って栄達を求めた。厳嵩の失脚後,彼も連座して獄死した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

胡宗憲 こ-そうけん

?-1562 明(みん)(中国)の武将。
総督。倭寇(わこう)の鎮圧につとめ,計略によって首領の徐海をとらえ,王直を投降させる。嘉靖39年太子太保に昇進したが,41年失脚して投獄され自殺。安徽省出身。名は襄懋。字(あざな)は汝貞。

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世界大百科事典 第2版の解説

こそうけん【胡宗憲 Hú Zōng xiàn】

中国,明の武将生没年不明。倭寇の平定に活躍したので有名。字は汝貞,安徽績渓の人。嘉靖17年(1538)の進士。知県から御史にすすみ,浙江を巡察した。このとき,王直らは五島に拠り,倭寇を率いて盛んに入寇し,徐海,陳東らも沿岸を略奪した。彼は浙江巡撫,兵部右侍郎としてこれの鎮定に努め,謀をもって徐海,陳東らを下し,やがて王直をも捕らえた。その功により右都御史に進み太子太保を加えられた。しかし〈策謀多く功名を喜ぶ〉とも評された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

胡宗憲
こそうけん
(?―1565)

中国、明(みん)代の政治家。安徽(あんき)省績渓(せきけい)県の人。字(あざな)は汝貞(じょてい)、号は梅林。1538年の進士。権臣厳嵩(げんすう)、その腹臣趙文華(ちょうぶんか)と結んで、55年6月に浙江巡按御史(せっこうじゅんあんぎょし)から浙江巡撫(じゅんぶ)に抜擢(ばってき)され、倭寇(わこう)対策を講じた。このとき、寧波(ニンポー)府生員蒋洲(しょうしゅう)の献策をいれ、蒋洲、陳可願を日本に派遣し、勅諭を伝達して倭寇を禁止させようとした。その真のねらいは、日本の五島、平戸を本拠とする海寇(海商)王直(おうちょく)を説得して帰順させることにあった。翌56年2月には浙直総督に上り、海寇の徐海、陳東、葉麻らを分離工作により孤立させて鎮定し、王直をその軍門に降伏させた。その功績で太子太保となったが、厳嵩父子の失脚後に彼も弾劾され、獄死した。[佐久間重男]

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世界大百科事典内の胡宗憲の言及

【倭寇】より

…王直は日本の平戸・五島地方を根拠として大船団で中国沿岸を攻撃した。明では,胡宗憲(こそうけん),戚継光(せきけいこう),兪大猷(ゆたいゆう)らが海防にあたり,それぞれに功績をあげた。やがて海禁令が解除されるとともに,日本における豊臣秀吉の国内統一がすすむと,倭寇はしだいにおさまった。…

※「胡宗憲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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