改訂新版 世界大百科事典 「膳氏」の意味・わかりやすい解説
膳氏 (かしわでうじ)
古代の豪族。《日本書紀》では孝元天皇の皇子大彦命を祖とし,《古事記》では大彦命の子比古伊那許士別命(ひこいなこしわけのみこと)を祖としている。《高橋氏文》によれば,磐鹿六鴈命(いわかむつかりのみこと)(大彦命の孫)は,景行天皇の東国巡幸に供奉,上総国において堅魚や白蛤の料理を天皇に献上し,その功により以後永く天皇の供御に奉仕することを命ぜられ,また膳臣の姓を賜ったという。《日本書紀》にも類似の記事がある。膳氏が天皇の供御の料理,供饌の事に奉仕したことは,履中朝の膳余磯(あれし),雄略朝の膳長野,安閑朝の膳大麻呂の例によっても知られるが,律令制の成立後,膳氏から出た高橋氏が,阿曇(あずみ)氏と並んで内膳奉膳(内膳司(ないぜんし)の長官)に任ぜられたのは,多年天皇の供御の事に奉仕した膳氏の実績に基づくものである。なお,膳氏で軍事,外交などに活躍した人物としては,雄略朝に任那日本府の将として高句麗軍を破ったとつたえる膳斑鳩(いかるが),欽明朝に百済に遣わされた際,虎を退治したことで有名な膳巴提便(はすび)などがおり,また,膳傾子(かたぶこ)は越国(北陸)に漂着した高句麗の使者の接待を務めているが,彼の娘菩岐岐美郎女(ほききみのいらつめ)は聖徳太子の妃として著名である。このほか,推古朝に任那の使を迎える荘馬(かざりうま)の長を務めた膳大伴,大化改新の際の東国国司膳百依,斉明朝の遣高麗大使膳葉積,壬申の乱の功臣膳摩漏などが史上に名をとどめている。膳氏は684年(天武13)朝臣(あそん)の姓を賜ったが,奈良朝以後はその勢振るわず,高橋氏が内膳司の長官の職を世襲したほかにはとくに顕著な事跡を見ることができない。
執筆者:後藤 四郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報