奈良時代の家記。高橋氏は膳部(かしわで)氏とも称し、安曇(あずみ)氏と並んで内膳司(ないぜんし)であったが、安曇氏との間で主導権争いを生じ、しばしば衝突を起こしたため、789年(延暦8)両氏がそれぞれ家記を奏上した。このとき奏上された高橋氏の家記と認められるものが「高橋氏文」として引かれて残る。逸文のみであり、今日一つの成書として残っているわけではない。『本朝月令(がつりょう)』『政事要略』などに引用するところで、記事二条と、両氏の紛争を裁定した792年の太政官符(だいじょうかんぷ)とが伝えられる。記事の1条は、『日本書紀』景行(けいこう)紀53年条と酷似し、その関係が注目される。691年(持統天皇5)に「纂記(さんき)」を提出した18氏中に膳部氏の名もみえるので、家記原本の成立には、そこまでさかのぼる部分を含むことも想定できなくはない。古代文学、古代史において氏族伝承という領域を考えるうえで重要な資料となる。
[神野志隆光]
『『高橋氏文考註』(『伴信友全集3』所収・復刻版・1977・ぺりかん社)』▽『安田尚道・秋本吉徳校注『新撰日本古典文庫4 古語拾遺・高橋氏文』(1976・現代思潮社)』
日本古代の氏文の一つ。高橋氏が遠祖磐鹿六鴈命(いわかむつかりのみこと)以来天皇の供御のことに奉仕してきた由来を述べ,律令時代に入って高橋氏と並んで内膳司に奉仕する阿曇(あずみ)氏に対し,高橋氏の優位を主張したもの。789年(延暦8)に上申した家記に,高橋氏の優位を認めた792年の太政官符を付け加えたものである。高橋氏文の全文は伝わらないが,《本朝月令》《年中行事秘抄》《政事要略》などに引用される逸文によりその概要を知ることができる。大化前代以来の古い伝統を負う氏族の姿と,それが律令制の成立とともに新しい組織の中に組み込まれて,新しい環境の中で自家の発展に努めるようすを伝える興味ある文献である。
執筆者:後藤 四郎
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高橋氏の氏文。789年(延暦8)成立か。高橋氏は膳(かしわで)氏の後裔で,朝廷での奉膳を職掌としたが,同職の安曇(あずみ)氏とたびたび争い,789年に両氏が家記を奏上した。そのときの家記が高橋氏文と考えられる。「本朝月令(がつりょう)」に高橋氏文として引かれる延暦11年太政官符は安曇氏との争いに決着を下したもので,氏文に添えられて伝えられたものか。完本は現存せず,「本朝月令」「政事要略」「年中行事秘抄」などに逸文を載せる。内容は,奉膳の由来として高橋氏の祖磐鹿六獦(いわかむつかり)命の事績を伝えるもの。伴信友が逸文を集成し「高橋氏文考註」(「神道大系」所収)を著している。
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…これらが《新撰姓氏録》の基礎となったが,氏文もその一つである。平安時代に提出された《高橋氏文》は,伝統的な氏である膳(かしわで)氏が高橋朝臣と改姓されてから,安曇(あずみ)氏に対する自己の氏の由来をまとめたもので,《古語拾遺》も,斎部(いんべ)氏が中臣(なかとみ)氏に対して,みずからの立場を主張した氏文と考えてよい。ほかに《丹生祝氏文(にうはふりうじぶみ)》なども残っている。…
※「高橋氏文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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